1940年(昭和15)の月スケッチ

 1940年(昭和15)は火星接近の前年であり、月(アリスタルコス付近)のスケッチと観測についてのハガキが1葉残っているのみです。アリスタルコスクレーター付近は、特異現象が起こる場所として注目されていました。スケッチ者のサインは、A.Kanayama氏?(六甲在住)

(スケッチ・ハガキは伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

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  • double_cluster

    2021.07.25 02:11

    ありがとうございます。神戸も朝から暑いです。ところで中村氏への追悼文ですが、伊達氏の天文蒐集帖1933年(昭和8)5月頃のページに貼られていました。伊達氏の記録は、年月日順にきちんと整理されていますので信頼ができます。1932年(昭和9)12月号の「天界」P.493~495に、射場氏の同じ文章が掲載されています。恐らく、射場氏と親しかった伊達氏が、Popular Astronomy誌に発表する前の冊子を、1933年頃入手されたのだと思います。「天界」誌の内容と見比べると、中村氏の生年が違っていますね。「アマチュア天文史」によると、1932年頃、射場氏は持病が悪化したために、伊豆で静養しておられたようです。
  • manami.sh

    2021.07.25 01:24

    今日も、暑い1日になりそうです。 貴重な資料を今回も掲載していただき、ありがとうございます。 Kanayama様については、正体不明ですね。 樋上氏のはがきは、先のLTPも参考にしながら見るとおもしろいです。 「天界」誌上での伊達氏の月面課長としての報告も少なく、月面観測の動向が詳らかで ないことからも貴重だと思います。 中村要氏への射場氏の追悼文ですが、 "Fragmentary Notes on Astronomy in Japan"5部作(①1934,②1937、③④⑤1938)の付録として1938年以降に""Appendix to Fragmentary Notes on Astronomy in Japan "として掲載されたものでしょうか。それとも "Fragmentary Notes on Astronomy in Japan"1934(第1部)の付録だったのでしょうか。 いつ書かれたのか、気になりますが、お分かりでしたら、教えていただけませんでしょうか。