東星会(1)

 戦時中、東京付近のアマチュア天文家は、本土に残ったメンバーで細々と活動を続けていました。しかし、戦時の拡大により、機関紙発行のために必要な用紙の不足にも悩まされるようになりました。東京付近の小同好会は、用紙獲得のためにも、一つにまとまる必要が生じました。

 1940年(昭和15)頃の東京付近のアマチュア天文家の集まりを見てみますと

 ・東亞天文協会東京支部(五藤斉三氏)→東亞天文協会関東支部(内藤一男氏の提案)

 ・東京天文クラブ(大久保天文クラブ→青山天文同好会→東京天文クラブ)

 (野尻抱影氏、小島時久陸軍少将、小森幸正氏、須山正躬氏、関口鯉吉東京天文台長、服部博氏、山根平三氏、横山政二氏)

 ・東日プラネタリウムの東日天文クラブ(野尻抱影氏)

 ・東京星の会(栗原正雄氏)

 ・青砥天文同好会(石橋正氏)

 ・横浜すばる会(森久保茂氏、浅居正雄氏)

 「東星会」は、内藤一男氏・冨田弘一郎氏・中野繁氏等の呼びかけによって、1942年(昭和17)3月に結成されました。「東星会」の会長は野尻抱影氏、顧問は小島時久氏・神田茂氏でした。会名は野尻抱影氏が命名しました。会の雑誌は「東星」です。執筆者には毎号、神田茂氏・小島時久氏・渡辺敏夫氏・野尻抱影氏・平山清次氏・古畑正秋氏・蔡章献氏・山根平三氏等、錚々たる方々があたりました。第一号が1943年(昭和18)3月に発行されましたが、1943年(昭和18)9月に時局により終刊しました。

 上は、1942年(昭和17)3月15日に、東京渋谷の白十字堂で開かれた創立総会の記念写真です。

 内藤一男氏は、1930年(昭和5)頃からの熱心な変光星観測者でした。東星会発足の翌年、1943年(昭和18)4月26日、司政官として南方の戦場に赴任中にマニラ沖にて戦死しました。

 冨田弘一郎氏は、東星会存続のために原恵氏と共に最後まで努力しました。しかし、1944年(昭和19)初め頃、東星会の活動は休止しました。

 1941年(昭和16)頃の中野繁氏(慈恵医大生)です。東星会創立の1943年(昭和18)には、軍医として大陸方面に出征しました。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

(写真は伊達英太郎氏天文写真帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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