ローソップ島皆既日食(6)

 東京天文台(現国立天文台)にとって、1934年(昭和9)2月14日のローソップ島皆既日食は、天文台あげての出張観測行でした。「天文月報」(日本天文学会)に、「ローソップ島皆既日食」が初めて登場したのは、1932年(昭和7)8月号でした。

 翌月、1932年(昭和7)8月号の「天文月報」(日本天文学会)には、さらに詳細な情報が載りました。

 次の情報は翌年になりました。1933年(昭和8)12月号の「天文月報」(日本天文学会)に、最終的な観測陣容等が掲載されました。

(引用)

今後数年間に本邦で見える日食,神田茂,天文月報25巻第8号,日本天文学会,1932.8

1934年に皆既日食のあるロソップ島,神田茂,天文月報25巻第9号,日本天文学会,1932.9

来年2月14日の皆既日食,中野,天文月報26巻第12号,日本天文学会,1933.12

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

6コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2023.07.19 12:22

    @スークースークー様 ご覧いただきありがとうございます。また、コメントをありがとうございます。 1983年のジャワ島日食にいらっしゃったんですね。私は皆既日食を一度も見たことがありません。誠に羨ましいです。いつか・・・とは考えているんですが。 ところで戦前の皆既日食観測の目的は、藤田良雄氏も書いていらっしゃいましたが、「アインシュタイン効果」(この言葉は学術用語としては現在は死語のようです、一般相対性理論によって予言した三つの効果)の検証だったようです。 1.水星の近日点の前進 2.太陽の重力場による光線の湾曲(1919年5月29日、プリンシペ島でエディントンによる観測で実証) 3.重力場による赤方偏移 (参考:日本大百科全書より) 天文学者が、皆既日食に身命を賭して行くほどの価値があった時代だったんですね。
  • スークー

    2023.07.19 10:32

    この頃の皆既日食は、東京天文台を始め国内の研究施設がこぞって観測隊を送り込むほどの研究対象だったのですね。 海軍だって海防艦春日(日露戦争で旅順港閉塞作戦に従事した歴戦艦)を派遣するくらいですから、力コブの入りかたが違う。 かたや今は各旅行会社から世界中どこでも「皆既日食ツアー」が出る時代。誠に今昔の感があります。 そういえば私が1983年のジャワ島での日食、あのときは皆既を7分近く楽しめたのですが、その話を同好会の例会で話したとき、斉藤国治先生が 「そりゃよかったね。僕なんか、ずいぶんたくさん皆既日食観測隊に参加したけど、コロナを目で見たのは1分もなかったよ」 とおっしゃってました。斉藤先生が参加されたのはローソップより後だと思いますが・・・ 雑談ですみません。
  • double_cluster

    2023.07.17 22:56

    @麗子ご覧いただきありがとうございます。今後、観測に参加した方々の報告や論文(海軍技術研究所の論文も)を順次掲載していこうと思います。ご覧いただけましたら幸いです。