近代知識 科学・文藝(新聞記事より)
伊達英太郎氏天文蒐集帖に残された、ローソップ島皆既日食に関する1933年(昭和9)10月17日の新聞記事です。
1.日本周辺では、1934年2月14日ローソップ島皆既日食、1936年6月19日北海道皆既日食と立て続けに皆既日食が見られること。
2.ローソップ島皆既日食は、アインシュタインの一般相対性理論の内、太陽近傍の星の光が1.75"ほど方向が変異することを再検証するのに好適なものであること。
3.月の実際の位置が、理論より割り出した天文学者が予報した位置(暦の位置)より実際は角度に於いて6~7"速いという問題を研究するのに好適であること。
このようなことが書かれています。
3回にわたり新聞に連載された、京都帝国大学教授山本一清氏の解説です。そのAでは
1.孤島での皆既日食観測出張としては、1カ月前の出発は遅すぎたこと。
2.2月の太陽の位置はやぎ座にあるため、皆既中に太陽周辺に比較的明るい恒星が多数見られるローソップ島皆既日食は重要であり、アインシュタインの相対性理論再検証のために絶好の機会であること。
等が、書かれています。
そのBでは
1.1929年スマトラ島皆既日食で、ドイツ・ポツダム天文台のフロインドリヒ博士が、アインシュタインの理論値1.74"に対して、実際の観測は2.24"であったと発表したこと。
2.それにより、アインシュタインの相対性理論の根本が怪しくなってきたこと。
3.1922年オーストラリア皆既日食のリック天文台の観測では、1.74"の値に誤りが無かったこと。
等が、書かれています。
そのCでは
1.各国の天文台・天文学者は、経済的な理由により、ローソップ島への出張観測を断念せざるを得なかったこと。(1929年に発生した世界大恐慌が影響?)
2.京都帝大・東京天文台の観測機械の詳細
等が、書かれています。
ローソップ島皆既日食は、タイミング的に、アインシュタインの相対性理論の再検証という重要なミッションが課せられていたことが分かりました。また、海外からの出張観測は、経済的な理由等により、困難であったことも分かりました。
(新聞記事は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)
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