1945年(昭和20)8月15日、終戦を迎えても、クック望遠鏡は歪んだドーム内で眠ったままでした。
1950年(昭和25)、神戸海洋気象台(海洋気象台から1942年に改称)に片山昭氏が着任しました。片山氏は、天文学を専攻していたこともあり、何とかクック望遠鏡を使うことはできないかと考えました。そこで、京都の西村製作所に、ドームの復旧工事を依頼しました。その結果、なんとか二人がかりでドームやスリットを動かすことができるようになりました。とにかく、クック望遠鏡は使用できる状態になり、片山氏は「星のシンチレーションと上層大気の乱流」についての研究を行いました。
それからの7年間、クック望遠鏡は目覚め続けました。ところが、片山氏が東京管区気象台に転勤した後、クック望遠鏡は、神戸市に移譲されるまでの期間を、閉ざされたドーム内で再び眠り続けることになりました。その期間は、実に10年に及びました。
1958年(昭和33)2月2日の神戸新聞夕刊に、クック望遠鏡に関する記事が載りました。この日の朝刊には、アメリカの人工衛星打ち上げ成功の記事も掲載されました。
「生まれて37年、その望遠鏡は疲れ切ったように立っている。昔は太陽を追って盛んに活躍していたこともあったが、今はドームの屋根もあまり開かず、望遠鏡はじっと薄暗い中で眠っている。
「なんとかしようじゃないか」、このごろそういう声がある。かつては栄光に包まれていたものだけに、宇宙時代にうらぶれた姿を見せているのが関係者の愛惜をそそる。神戸海洋気象台の10インチ屈折望遠鏡は、ふたたび光を求められないだろうか。」(中略)
「世の中は変わった。気象台の直接の仕事は望遠鏡に関係なく、職員も予算もその方には回らない。戦災で焼けた気象台の復旧や、気象予報に直接必要な設備に追われて、望遠鏡は忘れられたようになった。月食や日食などが見られる時に利用されるだけで、すでに第一線には役立たない。しかし、今でも日本では屈折望遠鏡としては、26インチ(65cm)を持つ三鷹をはじめ花山(かさん)など天文台のものについで、五指の中に入る大きさには変わりない。修理もせず、放っているから”ベスト5”に入るとはいえないが、大きさでいうと"ビッグ5"に入ると苦笑されることもある。(中略)
気象台の望遠鏡が何か有効に使われる方法はないものだろうかと、関係者は頭をひねっている。」
クック望遠鏡の神戸市への移譲が決まる1967年(昭和42)まで、クック望遠鏡がドーム内で眠り続けた期間は、通算で実に25年間になりました。
(参考文献)
ふたたび太陽を追って,神戸市教育委員会望遠鏡小史編集委員会,神戸新聞出版センター,1984
神戸海洋気象台の年老いた大望遠鏡,神戸新聞夕刊,神戸新聞社,1958.2.2
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