クック物語(5)

 神戸海洋気象台のドーム内で眠り続けていたクック望遠鏡の活用に向けて、熱い思いを持っていたのが、西村雅司氏(西村写真研究所)でした。西村氏は、東亜天文学会神戸支部のメンバーとも交流があり、クック望遠鏡の神戸市への移譲に熱心でした。

 西村氏はクック望遠鏡修復に向けて、西村製作所に修理の見積もりを依頼し、当時の西村製作所社長西村繁次郎氏から返信(1967年[昭和42]5月4日)を受け取っています。

 「25cm屈折望遠鏡・日本でも有数の望遠鏡が全く荒れているので驚いた。余りにも、使用並びに手入れがされていない。器械は使用しておれば、ともかく良好な状態なものであるが、使用されずにあると、見る見るうちに、ほこりやサビや油切れなどによって不調の原因となる。全く惜しい。

 今日となっては、オーバーホールするより復元の方法がない。現在場所での使用に当たっては、現地でオーバーホール並びに塗装、調整する。もし移転するなれば、現場より工場に運搬し、オーバーホール、塗装の工程を終わり、新設場所の完成を待って運送し組み立てをする、の二つの方法がある。

 対物レンズ・古い望遠鏡の修理の経験上、対物レンズは分解、清掃、組み立てにより原形の能率を発揮するものである。即ち不良となる原因は見当たらないのであるから、心配の必要がない。

 接眼レンズ・話によればほとんど行方不明である。が此の種の接眼レンズは日本製で代用することにより、往時より優秀な星像を得られること十分である。

 器械部・放置の状態に有るので、オーバーホールの必要がある。可動部分の油切れが目立ち、サビの発生で、強いて可動させても不調でしか動かない。即ち、星像の追跡が不調である。

 約50年前の作品であるが、現代人が見ても旧式であるとは言えない精度と設計である。廃品か、更生かの時期であるが、もし現代、これと同様なものを作るとなれば、1000万〜1500万円を必要とするであろう。

 更生すれば今後の使用状態で、50年の使用保証が出来るものである。

 将来の天文台・ドームは7m(現在6.5m)にしたい。電動回転式とする。観測ハシゴは軽快なものにしたい。また巾広が必要。出入り口は広くしたい。望遠鏡の搬入に現在の出入り口は非常にせまいので困る。望遠鏡は眼視用であるが、黒点撮影装置など附加すれば大変良好かと思われる。」

 東亞天文協会(現:東亜天文学界)神戸・大阪支部は、1936年に海洋気象台を訪れました。東亞天文協会のメンバーにとって、花山天文台の兄弟機である25cmクック望遠鏡は、特別な存在だったのでしょう。また、神戸支部の会合を神戸海洋気象台で行っていたことから、神戸支部のメンバーは、活用されず眠っているクック望遠鏡が気になって仕方がなかったことでしょう。

(1936年に撮影された海洋気象台ドーム)

 西村雅司氏は、福井實信氏(後の東亜天文学会理事)と共に、神戸市へクック望遠鏡の移譲への働きかけを熱心に続けました。その結果、1967年(昭和42)、神戸海洋気象台から神戸市へのクック望遠鏡の移譲が実現しました。移譲価格は5万円。購入当時の価格と同額でしたが、貨幣価値は大きく異なり、約1億5千万円から5万円への格下げとなりました。

 クック望遠鏡に人格があれば、スクラップ同然の価格に憤慨したことだと思います。しかしその反面、薄暗いドームからの救出、整備、華やかな再デビューへと期待を高めたことでしょう。

 神戸海洋気象台から運び出されたクック望遠鏡は、17箱に梱包され、神戸市中央区の神戸市立中央体育館倉庫へと運びこまれました。すぐに整備活用されるかと思われましたが、その当時、神戸市にはクック望遠鏡を設置する施設も場所もありませんでした。保管期間は、そのまま17年間にもなってしまいました。神戸市への移譲を積極的に進めた西村雅司氏は、クック望遠鏡の復活の姿を見ぬまま、1978年(昭和53)年に亡くなりました。

(クック望遠鏡が17年間保管されていた神戸市立中央体育館) 

 クック望遠鏡が眠り続けていた間、やがて安住の地となる、神戸港沖のポートアイランド工事(1期:1966年〜1981年、2期:1987年〜2010年)が着々と進められました。

(参考文献)

ふたたび太陽を追って,神戸市教育委員会望遠鏡小史編集委員会,神戸新聞出版センター,1984

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会編,恒星社厚生閣,1987 

神戸っ子アーカイブHP,KOBE Jazz50年

(東亞天文協会海洋気象台訪問と海洋気象台ドーム写真は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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