クック物語(6)

 ついに、クック望遠鏡の目覚める時がやってきました。1981年(昭和56)、神戸市中央区の海上に造られたポートアイランド(人工島)の1期工事が竣工しました。

 竣工記念として、ポートピア博覧会(ポートピア81、3/20~9/15)が神戸港沖の人工島、ポートアイランドで行われました。

 博覧会終了後、神戸館の建物を利用して、神戸市立プラネタリウム館が1982年(昭和57)にオープンしました。

 クック望遠鏡は、1984年(昭和59)にオープンする、神戸市立青少年科学館新館天体観測ドームに設置されることになりました。それに先立ち、1983年(昭和58)7月、オーバーホールのために、神戸市立中央体育館倉庫から京都の西村製作所に運び出されました。そして、半年かけて、西村製作所で整備されました。

(中央体育館から搬出されるクック望遠鏡)

(西村製作所で開梱された部品類。上は測微器の部品と接眼レンズ、左下はブラッシャー運転時計、右は25cm対物レンズ)

(左上は極軸部分、右上は日周用ホイールギア、下はファインダー望遠鏡)

 1984年(昭和59)1月、表面のヨゴレやサビを落として、部品確認などを兼ねて、西村製作所の工場内で仮組みされました。このあと再度分解して、補修や部品の補填、新調などを行い、塗装して仕上げられました。

 1984年(昭和59)3月、クック望遠鏡は、青少年科学館天体観測室に設置されました。

 クック望遠鏡は、「たいよう」と命名され、ほぼ毎日、来館者に太陽黒点やプロミネンス観察のために公開されるようになりました。

 不遇の時代(ドームでの放置期間25年、倉庫での保管期間17年、合計42年)を乗り越え、まさに新たな船出となりました。それから約12年間、復活を遂げたクック望遠鏡は、順調に活躍し続けました。

 やがて、1995年(平成7)1月17日、日本でも未曾有の都市直下型大地震、阪神淡路大震災が発生しました。

(参考文献)

ふたたび太陽を追って,神戸市教育委員会望遠鏡小史編集委員会,神戸新聞出版センター,1984

写真アルバム神戸の150年,山田恭幹,樹林舎,2017

こうべ市制100周年記念,神戸市,1989

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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