2022年3月28日、かつて海洋気象台があった宇治野山(うじのやま)を訪ねました。今はマンションが建っています。
マンションの西側から、マンションのエントランス・駐車場に至るスロープです。この傾斜が、かつての海洋気象台に至る坂道だったのでしょう。
スロープ終端から北西方向を見た光景です。
現在は巨大なマンションが建っています。かつてここに、瀟洒な海洋気象台が建っていました。
マンションの共有スペースに、海洋気象台にあった桜が残っています。しかし、マンション内のため、部外者は立ち入ることができませんでした。
スロープ終端にある古い石柱の基礎のみが、往時を偲ばせるモニュメントとして残されています。
「エントランスガーデン かつてこの場所に日本初の海洋気象台がありました。その時からこの土地を見守り続けた石台をバードバスとして再利用し、広場のシンボルとしています。」
古びた花崗岩の石肌に、100年の時の流れを感じました。
長らくお読みいただいたクック物語は、これにて終了です。しかし、Cooke&Son’s社製(イギリス)25cm屈折望遠鏡が現役である限り、クック物語は続くことでしょう。
この物語を閉じるにあたって、「世界で最も偉大なアマチュア天体観測家」と天文学者のH.シャプレーが称賛した、L.C.ペルチャー氏の言葉を引用したいと思います。
「望遠鏡は古くなっても決して死ぬことはない。ただ、使われなくなるだけである。性能が低下することなどないのは言うに及ばず、中心的機能をもつレンズは一世紀を経てもなお、若い頃の光と輝きを失わない。しかし中には、何らかの理由で休眠しているもの、仮死状態になっている望遠鏡もある。そんな時、ゆっくりとちりを積らせながら、望遠鏡は、かつてあれほど熱意をこめて彼らを空へ向けた手はどうしたのだろう、といぶかることだろう。(中略)
二つの望遠鏡(*かつてプリンストン大学が所有していた短焦点15cm屈折望遠鏡とウェスリアン大学・マイアミ大学が所有していた30cmクラーク屈折望遠鏡、これらはL.C.ペルチャー氏に贈呈された)は単なる財産の一部ではない。それは私に託された贈り物であり、私はその管理者なのだと考えたい。望遠鏡が自分の身に起こったことに感謝し、喜んでその目を開き、再び星が見えるようにしようとする管理者なのだ。望遠鏡は若返り、若々しい情熱をもってこれからの長い、有意義な人生を考えているように見える。だが、私は見かけにだまされはしない。私は彼らの過去を知っているし、どんなに陽気に振る舞っていても、長老に対するような深い崇敬の念を抱かずにはおれない。何といっても彼らは歴史の多くを見てきているのだから、系図をよく知っている30cm望遠鏡についてはとりわけそうである。」
(参考文献)
星の来る夜,L.C.ペルチャー著・鈴木圭子訳,地人書簡,1985
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