東北帝国大学の日蝕観測隊輸送依頼書
1938年(昭和13)の山本一清氏による、1941年皆既日食についての新聞記事です。山本一清氏は、1938年(昭和13)に京都帝国大学を退官しました。この記事が出た時には、すでに京都帝国大学を去っていたのでしょうか。肩書きが世界天文同盟日食委員となっています。
「庶543號 昭和16年7月3日 東北帝国大学総長 海軍水路部長
日蝕観測隊輸送依頼の件
本年9月21日中支に於ける日蝕皆既観測の為 本学より観測隊派遣致度候付ては 右人員及び荷物輸送に関し 特に御配位相煩わし度く 此段及び御依頼候也
尚海軍大臣宛別紙写の通り 御許可方願い出候に付申添候 水第4419號」
「庶543號 昭和16年7月3日 東北帝国大学総長 熊谷岱蔵 海軍大臣 及川古志郎殿
日蝕観測隊輸送依頼の件
本年9月21日中支に於ける日蝕観測の為 本学より観測隊派遣致度候に付ては左記により右人員及び荷物の 佐世保簰州間往復輸送方御許可相成度 此段及び御依頼候也
尚現地に於ける警備 並び観測に関し 特に便宜御供与御取計被下度 御依頼申上候
記
1.輸送区間」
「自佐世保 上海漢口経由 至簰州 往復
2.希望日時
昭和16年8月5日頃 佐世保発 8月中旬 簰州着
同 9月24日 簰州発 10月5日頃 佐世保着
3.人員
南京漢口間往復 東北帝国大学教授 松隈 健彦
全区間往復 東北帝国大学助教授 一柳 壽一
同 東北帝国大学助手 小貫 章
同 東北帝国大学助手 吉田正太郎
同 東北帝国大学助手 中村 弘陸
4.荷物(観測器機並附属物)
梱包数 約80個
容積 約30立方メートル
重量 約8トン
内最大重量品 約1トン」
東北帝国大学総長 熊谷岱蔵(たいぞう)氏(1890~1962)は、内科学者、医学博士でした。東北帝国大学医科大学教授、1940年(昭和15)東北帝国大学総長に就任しました。
(引用)
故秋吉利雄氏保存資料
(新聞記事は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)
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