ローソップ島皆既日食(27)

ロソップ島日食観測行(2)

昭和9年1月15日(月)晴  窪川一雄(東京天文台技手 理学士)

 殷殷(いんいん)ととどろくフランス軍艦よりの砲声裡に我が南洋日食観測隊一行を乗せた「春日」は静かに横浜第4号岸壁を離れる。昭和9年1月15日午後3時。千々の思いをつなぐ色とりどりのテープはハタリハタリと切れで行く。空は快晴、冬のまばゆい陽は美しく流れて、海もまた静かに風もなく波もない。

横浜の山々が遠くかすむ頃、艦長をはじめ軍艦の人々及び観測員一同の自己紹介を終わって各自の室に案内され、手荷物等を先ず片付ける。暮色いよいよ迫る頃横須賀の沖合を通る。夕もやの中に航空母艦等の軍艦の整然と碇泊するを眺む。水上飛行機(神威のものか?)1台来たりて春日の周りを飛び我々一行の船出を祝福してくれる。

やがて軍艦生活の最初の食事は用意されて、華麗な食堂に刺身を味わって一同舌つづみ。 この分ならば大してやせもしまい。夕食を終わって甲板に出れば太白は西にさえて、三浦三崎あたりの灯の光点々として海に映ゆ。懐かしい日本ともしばらくのお別れだ。夜半近くなって波やや高くなり艦も動揺を始める。学生室一同10名、自己紹介後に寝る。

1月17日(水)曇  藤田良雄(東京天文台助手兼技手 理学士)

 7時半起床。昨夜はかなり揺られた為起床が少し物憂く感ぜられる。しかし元気を出して食堂に行ってみれば大分参った人があるらしい。背広服の人影はまばらだ。 三鷹の連中では一番早く参るだろうと自負?した小生ではあるが大いに意を強うした。ただし大事を取って食後は直ちに自室で横臥する。起きていると何だか胸苦しい。同室の千田氏熱は38度5分もあるそうだが食事は怠らずまことに頼ましき限りである。 窪川氏は病室からようやく部屋に帰った。まだ元気回復とまではいかないが大分良くなった。福見先生、田中先生等は昨夜寝室から水が入ったので大分お困りだったらしい。いろいろ話を総合してみると我々の部屋は揺れも割合感ぜられず空気の流通も良くて結構だ。 昼食にはスープとパンを少しかじっただけで退却、ただし峠は越した。波風は段々収まってきたようだ。海また海、島もなく船も見えない。少々退屈してきた。夕方時計を1時間早める。

1月18日(木)曇時々晴 前艦橋学生室にて 服部忠彦(東京天文台助手兼技手 理学士)

 ぐっすりと眠ってふと目を開ける。大分あたりは明るいが同室の連中大抵まだベッドに入っている。枕元の時計を見ると7時半。まだ眠いけれども腹は減っているので朝飯を食いはぐってはいけないと懸命に起きる。船の動揺も少なく今朝は非常に気持ちがよい。2階のベッドから降りかかった所へこの部屋の係の水兵さんが入ってきて「食事用意よろし」と呼んでいく。それとばかり顔もろくに洗わないで食堂に行く。飯は少し柔らかいが味噌汁も漬物も非常にうまい。軍艦の中で運動はしないけれども腹だけは非常に空くのはどうしてだろうか。動揺で消化されてしまうのだろうか。水兵さんが2人お盆を持っていちいち給仕してくれるのは恐縮である。一言も口をきかず黙々と親切にやってくれるのは何となく好ましい。食堂は暑くてじっとしていられないので直に後甲板に出て思う存分オゾンと潮風とをタバコの煙と共に吸い込んで時々うららかな日光がさっとさしてくれるのを喜んでいる。風もほとんどなくなり微風が追い風となって日本の方から吹いてくる。もう4月の陽気だ。チョッキを脱いで甲板に座っていても丁度よい暖かさで気持ちが良い。大した風はないが大きなうねりがあるので船はかなり大きな ローリング、ピッチングの巧みなコンビネーションを続けている。見渡すかぎりの青海原、島影ひとつ見えない大洋をこれもまた見当のつかない水平線を目指して一途船は進む。これもまた天体観測のおかげで

ござるとこのところ天文学者大いに鼻を高くする。 翼の大きな海鳥が2羽軍艦の後方を海面とすれすれに舞いながらついて来る。船から流す獲物を拾っているらしい。昼食はいつも洋食である。オリンピックあたりの食事とはまた違ったうまさをもつこの昼食は腹にたまりそうでありながら、食えば食う程船の動揺と共にこなれていき、いつも 小食(?)の小生がきれいに平らげてケロリとしている。少し運動をしなくてはいかんと後甲板を丁度動物園の熊か虎のようにあちらこちらと歩き回る。時々伝令がやって来て中甲板の降り口に首を突っ込んで呼子をピーと鳴らし何やら喚いていくが何を言っているのか分からない。3時頃から甲板にマットをたくさん持ち出し始めた。何をやるのかと思っていると、一方ではちゃんと丸い土俵のついた敷皮を持ち出し水兵さん達が裸になって稽古用のふんどしを締め始める。一方では柔道着をつけた水兵さんたちが集まって柔道が始まる。相撲にはいい体をした先生が四股の踏み方から仕切りの仕方まで教えている。まず向かい合って相手を睨み殺しておいて土俵負けのしないように前に出ては仕切れ、うっちゃり専門などは攻撃精神に欠けているからいかん。力でどんどん押していけなどと如何にも軍人らしい。柔道の方は準備運動として前転倒後転倒 などを始め、その後で各個に練習を始める。便乗者総動員で手に手に写真機を持ってあちらでパチリこちらでパチリ。相撲もいよいよ本式になって勝ち抜きを始める頃には艦長、天文台長、その他偉い方々も手を握り力こぶを出しての

見物である。この面白い光景にいつか我を忘れて船の動揺も何も気がつかないが、これが終わって水兵さん達が整列した時にぐっと船が傾くと皆一様にバランスをとって反対側に身を傾ける。ここでは直立不動の姿勢といってもそれは重力の方向に対してであって決して船に対しては直立不動でないことを発見する。いつの間にか時間の経つのを忘れていたが夕食である。なおこの間前甲板では剣道と銃剣術があったそうであるが小生見に行けなかった。夕食は——と言うと食べることばかり書いているようだが周囲はいつも同じような塩水、住うは同じ軍艦春日、乗組員は毎日顔を合わせる同じ人々、変化のあるのは雲と食事だけ、甲板に寝転んでじっと雲を見つめていると頭に浮かぶは出発の光景と来るべき日食の事。こんなに雲が多いと困るなあなどとふと考える。次に考えるのは食事の事。今日の夕飯はなんだろうか、変化のあるものだけに楽しみである。夕食を終えてまた後甲板で折りたたみ椅子の上で杉の皮でできた火縄でタバコをつけながら士官の戦話に耳を傾け段々と暗くなりゆく海の彼方を眺める時、椅子に翼が生えて大空にふわりと浮かんでいるような 日持ちがする。途端に部屋係の水兵さんが風呂にお入り下さいと敬礼していく。狭いけれども気持ちの良い風呂の湯槽につかってゆらりゆらりと揺れながら鼻歌を歌う気持ちもまた格別である。併し風呂から上がって浴衣1枚でちょうど夏の夜の夕涼み気分で艦橋わきの探照灯のあるバルコニーで行手に見える高く上ったシリウスを眺めながらそよ風に頬をなぶらせる時の気持ちはまたそれ以上であろう。もうすることもないのでベッドの上に寝ながらこの日記を記す。時に午後10時41分、只今、東京では9時41分ではあります。どなたもご機嫌ようおやすみなさい。

(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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