伊達英太郎氏の太陽観測(7)

プロミネンス観測(3)

 R.スコフィールド氏(1890-1940)

 「中村要とR.スコフィールドの往復書簡」を読み返してみると、ヒルガー製紅焔用分光器に関する記述が驚く程たくさんありました。その部分を抜粋してみます。

(11)1924年7月18日 スコフィールドより中村へ

親愛なる中村さん

もうすぐ太陽のプロミネンスが観測されるということで、とても興味があります。私が見たいくつかの太陽プロミネンスはとても美しかったです。残念ながら、この分光器の口径を3インチにしないと、スペクトルが消えてしまいます。

(15)1924年8月9日 中村よりスコフィールドへ

7インチはヒルガーの分光器には大きすぎることがわかり、2インチのオットウェイに取り付けて、一時的に7インチに固定しています。大きなプロミネンスの吹き出しがよく見えました。

(16)1924年8月11日 スコフィールドから中村へ

太陽のプロミネンスをいくつか見ることができたと聞いて嬉しく思います。拡大率が5倍で、6.5インチのアービングの長焦点画像を時計装置なしで追うのは非常に困難だったので、2インチがちょうどいいかもしれません。これらのプロミネンスの中には非常に美しいものもあり、太陽系宇宙の支配者の巨大な力を感じさせてくれます。

(22)1924年9月26日 中村よりスコフィールドへ

太陽分光器は、本日、書留小包郵便でお送りしました。私は晴れた日には必ずプロミネンスの観測をしました。非常に興味深く、壮大なプロミネンスが数多く観測されました。時には10個以上のプロミネンスが縁の周りに見えました。望遠鏡を赤道儀に固定して、プロミネンスの角度を測定しました。焦点距離は30インチで、この分光器には十分な大きさであることがわかりました。頻繁に使用した分光器の外観はひどく傷んでしまいました。

(23)1924年10月1日 スコフィールドより中村へ

太陽分光器が返ってきました。あなたがこの分光器を使って面白い様子を見たと聞いて、私は嬉しく思います。

(24)1924年10月4日 スコフィールドより中村へ

私の2インチ(30インチフォーカス、あなたと同じ)では、太陽のプロミネンスをいくつか見ることができました。5倍のアイピースで35m/mに拡大した焦点画像がちょうどよく、1m/mが約2万5千マイルの高さであることから、おおよその測定が可能です。2日には東縁に4つの美しいプロミネンスを見ました。1つは高さ約7万5千マイルのバラのつぼみのようなもの、もう1つは少し長い噴水のようなものでした。これは非常に面白い観測です。8.5インチでは満足のいく結果が得られませんでした。これは、スペクトルがかき消されることと、焦点像の縁をスリットに正確に合わせることが困難なためと思われます。

(出典)

「山本天文台資料より」

(参考文献)

冨田良雄. 暗号コードと火星 --R.スコフィールドの見た夢--. 第6回天文台アーカイブプロジェクト報告会集録 2016, 6: 32-38

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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