小島修介氏(2)

月面の地図

 小島修介編・村山定男監修の「月面の地図」です。発行は1950年(昭和25)です。

 この月面図については、高橋実著「月面ガイドブック」(誠文堂新光社,1974)で詳しく述べられています。

 「小島月面図」

 日本人が作ったものとしては最大で最精密な月面図。直径54センチで、I.A.U.(国際天文同盟)の決定による782カ所の月面地名表がつき、これに付された数字と図に書きこまれた数字を対比させることで地形名がわかります。また名もないようなクレーターの呼び名も、メースチングAとかヘルクレスBというふうに、かなりのところまでわかるようになっています。

 光学会社の社長で月面観測に情熱を注いだ故小島修介氏がつくったもので、「月面の地図」(知人書館)の名で発表されています。

 この図の特徴は月面の暗班や光班を描いていることで、特に暗班部に詳しいことでは他にあまり類のないものです。

 月の表面にたくさん見られるうす暗い部分や輝く点が、月面の地形の中でどのように形成されたかについて、特に興味を抱いて観測を続けた小島氏の熱っぽさが、この図にはいっぱいみなぎっています。

 難を言えば、地形名が数字で記入されていることで、別表を見ないとわからないというもどかしさを感じます。中野月面図と同じく四象限にそった方眼でおおわれ、図の中心から東西・南北にどれだけズレているかの4ケタの数字が、位置索引番号として地名表についています。(直角座標の月面図)

 現代の月面図は、北が上、南が下になっています。また、「月面の地図」で西と表示されている方が東、東と表示されている方が西です。

 アポロの月着陸が現実味を帯びてきた1960年代半ばごろから、月面の方位の統一が図られるようになりました。

 西の方位(実際は月の東部)の地形です。

 「本月面図について」として、「所々黒い部分は満月近くの時に著しく眼につく所です。輝いて見える部分も光芒の形を入れておきましたからそれと判るはずです。」と小島氏は述べています。

 別表部分です。「原名」「日本名」「位置」「数字」「25区分」が記入されています。

 終戦後5年しかたっていない、1950年発行の月面図です。小島氏の五藤光学天文台での月面観測を基にした月面図。執念のような気迫を感じます。

(参考文献)

小島修介編・村山貞男監修,月面の地図,地人書館,1950

高橋実,月面ガイドブック,誠文堂新光社,1974(P.17,18)

白尾元理,月の地形観察ガイド,誠文堂新光社,2018


中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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