2022.08.13 00:3426cm反射と四天王 伊達資料の写真は、ほとんどが写真乾板によるものです。しかし、伊達氏が終戦前後にライカ等で撮影したネガフィルムが、少し残されていました。そこには、伊達氏の26cm反射赤道儀(木辺鏡、西村製作所)や、火星観測の四天王(木辺成麿氏、伊達英太郎氏、渡辺恒夫氏、前田治久氏)の姿が写し出されていました。前田氏が1952年(昭和27)、伊達氏が1953年(昭和28)に逝去されますから、当時の4人の写真は、とても貴重だと思います。
2022.05.18 05:50度盛環の使い方 1933年(昭和8)に、伊達英太郎氏から尋ねられた、度盛環(どもりかん?)の使い方に関する木辺氏からの返信です。度盛環は、現在では目盛環と言われています。 当時、木辺氏は花山天文台の研究員でした。この内容は、クック30cm屈折赤道儀を念頭に書かれたものではないかと思います。太陽を基準にして、金星を導入する方法が書かれており、たいへん興味深いものがあります。 木辺氏の手紙を見ていると、間違いによる文字の塗りつぶしが結構目立ちます。後年の反射鏡研磨の達人とは違う一面が窺え、これも興味深いところです。(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)
2021.08.23 01:471941年(昭和16)の月・惑星写真(17) 1941年(昭和16)10月28日に撮影された火星です。乾板A30。撮影時刻は23:50~55、露出2秒、フィルターNo.3、クオリティーは可〜良です。乾板はOriental.Pan-chro使用 。 木辺氏の写真乾板はこれが最後になります。
2021.08.22 03:271941年(昭和16)の月・惑星写真(16) 1941年(昭和16)10月28日に撮影された月です。乾板A28。撮影時刻は19:55、クオリティーは不良と良です。乾板はOriental.Pan-chro使用 。 1枚の乾板に、月面が2個写されています。
2021.08.21 01:381941年(昭和16)の月・惑星写真(15) 1941年(昭和16)10月28日に撮影された火星です。乾板A27,29。撮影時刻はA27は19:40-19:45,A29は21:53?(乾板には21:35とあります)。クオリティーは可と不良です。フィルターはNo.3、乾板はOriental.Pan-chro使用 。 太平洋戦争開戦(1941年12月8日)まで、2カ月を切った頃の撮影です。
2021.08.20 02:001941年(昭和16)の月・惑星写真(14) 1941年(昭和16)10月23日に撮影された火星です。乾板A25,26。撮影時刻は21:45-21:50。クオリティーは可と不良です。乾板はOriental.Hy Pan使用 。
2021.08.18 23:451941年(昭和16)の月・惑星写真(13) 1941年(昭和16)10月20日に撮影された火星です。乾板A24。撮影時刻は21:00。露出はノーフィルターは1/2秒、フィルターありは1秒?です。クオリティーは良、乾板はOriental.Pan-chroを使用 。一部3号フィルターを使用。 特記事項には、何も記入されていません。
2021.08.18 00:241941年(昭和16)の月・惑星写真(12) 1941年(昭和16)10月19日に撮影された土星です。乾板A23。撮影時刻は22:10-22:11。露出は3秒です。クオリティーは良、乾板はOriental.Pan-chroを使用 。フィルターは不使用。 特記事項には、何も記入されていません。
2021.08.17 00:081941年(昭和16)の月・惑星写真(11) 1941年(昭和16)10月19日に撮影された火星と木星です。乾板A22。撮影時刻は22:03,22:40。露出は火星1秒木星2秒です。クオリティーは可、木星は良という意味でしょうか。乾板はA.I,orthoを使用 。 特記事項には、何も記入されていません。
2021.08.16 00:141941年(昭和16)の月・惑星写真(10) 1941年(昭和16)10月19日に撮影された火星です。乾板A21。撮影時刻は21:59。露出は1秒、クオリティーは可です。乾板はOriental Pan-chroを使用 。 特記事項には、何も記入されていません。
2021.08.15 02:311941年(昭和16)の月・惑星写真(9) 1941年(昭和16)10月16日に撮影された火星です。乾板A19,20。撮影時刻は、22:30,20:40、露出は1秒、クオリティーは不良です。乾板19はA.I、20はOriental Pan-Chroを使用しています 。全体的にピントが良くないようです。 この乾板にも、奥様の村子氏の名前が見られます。