月面Xの日(2)

 2021.4.19、20:30頃、月面xが見えました。中村要鏡で月を見ると、鳥肌が立つと言うか、畏怖の念を感じると言うか、何とも厳かな思いになります。

(15cm反射、キャノンパワーショットS95、セレストロンズーム8-24mmコリメート撮像)


中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

4コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2021.04.24 08:16

    前田静雄氏のパステルによる火星スケッチは、残念ながら残っていませんでした。ただ、前田氏の影響でしょうか、1939年には坂上務氏をはじめとして、数人の方がパステル?のスケッチを残しておられますので、楽しみになさって下さい。ところで、ハーシェルニュートンは、中村要氏も五藤光学のために5cm反射鏡を多数機械研磨しておられました。光軸の歪み等の悪影響はございませんか。よろしければまたお教え下さい。お願いいたします。
  • manami.sh

    2021.04.24 06:52

    @double_cluster調べていただき、ありがとうございました。天界188号(1936.22)の遊星面課の報告に小島氏の件が記されており、E.Dと記されており、伊達英太郎氏が書いたものと思われます。前田氏は1937年からパステルスケッチを始めますが、1935年は多くのスケッチをとっているのにその多くが残っていないのは残念です。 (伊達氏が多くを保管され、ここで掲載されておられること自体、見せていただいている身としてはありがたいので、高望みではありますが) これからの金星スケッチも楽しみにしております。
  • double_cluster

    2021.04.24 02:24

    コメントをいただき、ありがとうございます。前田氏の件、教えていただきすっきりしました。戦時中、前田氏は木辺氏の個人秘書をしていたという記事が、「日本アマチュア天文史」にありました。当然、伊達氏とも親しかったと思われます。兵隊姿の前田治久氏の写真も残っています。1936年の惑星スケッチを見直しましたが、残念ながら小島氏の物はありませんでした。伊達氏が遊星面課長になった1939年は、200枚近くのスケッチが残されていました。それに次ぐのは、1941年です。これからは、1936年の金星スケッチを公開していこうと思っています。今後ともよろしくお願いします。