1939年(昭和14)の火星スケッチ(3)

 今回は、西森菊雄氏の火星スケッチです。西森氏は、東亞天文協会大阪南支部の責任を、伊達氏から引き継いだ方です。西森氏は、東亞天文協会の文庫部長もしておられたようです。

(写真は伊達英太郎氏天文写真帖より、資料は全て伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2021.06.13 04:44

    コメントをありがとうございます。西森氏の7.5cmは、西村製作所製と思われます。当時、卓上用として75mm(75円)が販売されていました。80mm(100円)との違いは、三脚部のみのようです。西村製作所の大型反射鏡筒にも接眼部が逆のものがありましたので、恐らく左眼用として特注されたものと思われます。五藤斉三氏は1891年生まれですので、伊達氏とは21歳の歳の差があります。直接的な交流の資料はありませんでしたが、部品の注文伝票、工場移転のハガキなどはありました。中村要氏と五藤氏との交流は、ご存知のように濃密なものがあったようですね。
  • manami.sh

    2021.06.12 22:29

    さらっと西森菊雄氏をGoogle Scholarで検索すると「天界」に氏名が載っているのは わかりますが、ネット上の「天界」では執筆記事は出てきません。 ここで、取り上げてもらはないと、詳細不詳で終わってしまいそうです。 西森氏の7.5cm反射は市販品でしょうか? 7.5cmは接眼部の位置が、よくみるものと反対側ですね。 話はそれますが、伊達氏は五藤斉三とは、どの程度の交際があったものか 記録はありませんでしょうか。ご教示いただけると幸いです。