1939年(昭和14)の火星スケッチ(5)

 今回は、山根平三氏の火星スケッチをご紹介します。山根氏は、東亞天文協会東京支部の会員でした。また、青山天文同好会(前身は大久保天文クラブ)の中心メンバーでもありました。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

(資料は全て伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

4コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2021.06.26 12:00

    返信が遅くなりました。申し訳ありません。須山氏のことをお尋ねいただき、私も調べることで勉強になりました。伊達氏の天文蒐集帖には、当時の新聞記事が多数残っており、紫金山天文台を守る日本軍兵士の写真もありました。一天文台が、大きな政治的問題に発展していたことが分かります。また機会がありましたら、ご紹介したいと思います。
  • manami.sh

    2021.06.20 05:21

    須山氏について、ご教示いただきありがとうございます。 紫金山天文台をヒントに調べてみると、昭和14年7月15日付(昭14官発第1276号)で南京紫金山天文台 の復興経営の調査研究を興亜院から嘱託された3人の1人でした。 【興亜院事務嘱託】東北帝国大学教授 松隈健彦、元逓信省技師 須山正躬、 東京天文台技師 及川奥郎 他に電気試験所技手 松岡愛長、東北帝国大学助手 吉田正太郎の名前がありましたが 実際に嘱託されたのは上記の3人のように読めます。 須山氏について、知見を深めることが出来ました。ありがとうございます。
  • double_cluster

    2021.06.20 03:48

    コメントをありがとうございます。ご指摘のように、スケッチ以外にも書き込みも貴重な情報源ですね。須山氏ですが、伊達氏の写真帖には情報はありませんでした。「日本アマチュア天文史」によると、須山正躬氏の事のようです。須山氏は、東京天文クラブ(野尻抱影氏・小島時久氏、小森幸正氏、関口鯉吉氏、服部博氏)の中心メンバーでした。また、小糸製作所で紫金山天文台の60cm反射鏡を製作(木辺氏も参加)する際、逓信省元技官であった須山氏がリーダーとして立てられました。その後、電気試験所に移った須山氏は、日本で初めてアルミメッキ鏡を開発したそうです。とても重要な方だったんですね。