1941年(昭和16)の火星スケッチ(1)

 1941年(昭和16)は太平洋戦争開戦の年であり、観測陣にとって、火星観測をするには困難な時代だったと思います。

 1941年の火星は、1939年より距離が遠くなったとはいえ、位置はくじら座とうお座の境界付近で、地平高度は1939年と比べてはるかに高く、シーイングなどの観測条件ははるかに勝っていました。(最接近は10月3日、衝は10月10日、最接近の時の距離は 6140万Km、視直径は22.8秒。)

 観測陣には、戦地から帰還した渡辺恒夫氏や前田静雄氏が加わり、かつての四天王がそろうことになりました。

 今回は、綿貫博通氏の火星スケッチです。(なお、カラースケッチは10月24日のみ。)

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

(資料は伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

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  • double_cluster

    2021.07.26 21:15

    ありがとうございます。1941年分も順を追って公開します。お付き合いをよろしくお願いします。お一人、無記名の方のスケッチが20枚ほどあります。15.5cmと26cm反射を使っておられます。年号は、皇紀2601年を使っておられます。謎解きのようですね。中村氏の追悼文、射場氏はすぐ近くで中村氏に接していたため、説得力がありますね。
  • manami.sh

    2021.07.26 11:41

    いよいよ1941年ですねぇ。今回も貴重なスケッチを掲載していただきありがとうございます。 射場氏の先の追悼文ですが、もしかしたら未掲載というのもありかもしれません。もっとも ネット検索でひっかからないだけかも知れませんし、PAを調べることもできませんが。 でも、貴重なものだと思います。