1941年(昭和16)の火星スケッチ(7)

 今回は、冨田弘一郎氏(1925~2006)の火星スケッチをご紹介します。

 冨田氏はプロの天文学者として、1947~1985年まで、東京天文台天体捜索部で天体観測に従事しました。

 主な観測対象は、小惑星や彗星です。多数の短周期彗星の検出に成功したことが業績として挙げられます。アマチュア天文家の育成にも尽力しました。

 1942年(昭和17)3月に創立した東星会には、創立時から参加しました。中野繁氏も東星会の創立メンバーの一人です。

 東星会の創立者で、冨田弘一郎氏の天体観測の師であった内藤一男氏は、1943年(昭和18)4月に司政官として南方へ従軍中、乗船していた輸送船が撃沈され、マニラ沖で戦死しています。

 後列左端が冨田弘一郎氏(青山学院生)、右端が中野繁氏(慈恵医大生)です。冨田氏の前が内藤一男氏です。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

冨田弘一郎,ウィキペディア,2021.8.4閲覧

(写真・資料は伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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