1938年(昭和13)5月、東亞天文協会会長山本一清氏は、京都帝国大学の教授職を辞しました。この事件は、山本氏のみならず、東亞天文協会をはじめ日本のアマチュア天文家の命運を大きく変えるものでした。
ここに、京都帝国大学濱田総長に宛てた、山本一清氏の上申書を掲載したいと思います。この新聞記事も嘆願書も全て、伊達英太郎氏の天文収集帖に保管されていたものです。
1938年(昭和13)5月、東亞天文協会会長山本一清氏は、京都帝国大学の教授職を辞しました。この事件は、山本氏のみならず、東亞天文協会をはじめ日本のアマチュア天文家の命運を大きく変えるものでした。
ここに、京都帝国大学濱田総長に宛てた、山本一清氏の上申書を掲載したいと思います。この新聞記事も嘆願書も全て、伊達英太郎氏の天文収集帖に保管されていたものです。
中村鏡とクック25cm望遠鏡
2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。
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