2022.07.21 23:05「アマチュア天文学の父 山本一清」 2022年7月14日と21日、NHK BSプレミアム コズミックフロント「アマチュア天文学の父 山本一清」が放映されました。戦前の天文同好会や東亞天文協会の歴史は、まるでドラマだなと私は感じていました。この放映を知った時、一人「我が意を得たり」と嬉しくなりました。 「日本の天文学黎明期に、アマチュア天文家の育成に力を注いだ山本一清。山本の情熱に導かれるように「天体発見王」や「レンズ和尚」と呼ばれた数々のアマチュアが誕生した。さらには「世紀の大すい星」を発見した伝説のアマチュア天文家まで! 番組では、山本に関する数多くの資料をもとに、その生涯をドラマ化。山本一清とアマチュアたちが築き上げた、現代に続く日本の天文学の軌跡をたどる。」(NHKBSプレミアム...
2022.05.08 06:13山本一清氏からのハガキ 伊達英太郎氏天文蒐集帖には、山本一清氏の年賀状やクリスマスカードが残されています。1932年(昭和7)10月の日付のある、山本一清氏からの転居通知です。古時計とは何でしょうか。
2022.04.03 07:55山本一清氏の退官(2) 以上が上申書の全容です。真実がどこにあるのか?これを読んでも私には判断ができませんでした。しかし、かなりの悪意が山本一清氏に向けられていたことは確かなようです。
2022.04.02 07:01山本一清氏の退官(1) 1938年(昭和13)5月、東亞天文協会会長山本一清氏は、京都帝国大学の教授職を辞しました。この事件は、山本氏のみならず、東亞天文協会をはじめ日本のアマチュア天文家の命運を大きく変えるものでした。 ここに、京都帝国大学濱田総長に宛てた、山本一清氏の上申書を掲載したいと思います。この新聞記事も嘆願書も全て、伊達英太郎氏の天文収集帖に保管されていたものです。
2021.06.26 05:441939年(昭和14)の火星スケッチ(7) 今回は、木辺成麿氏の奥様の木辺村子氏の火星スケッチをご紹介します。木辺村子氏は、ご主人の木辺成麿氏と共に、31cm反射望遠鏡を使って写真撮影も行っていました。山本一清氏が、英子夫人を積極的に観測に携わらせていたことが、木辺氏にも影響を与えたのかもしれません。 英子夫人は、山本一清氏のアメリカ留学にも帯同し、日食観測(1923年・1929年)にも加わっています。下の新聞記事は、山本英子氏が新聞社の所有する飛行機に搭乗し、1936年(昭和11)の日食観測スケッチをすることを告げたものです。
2019.11.04 07:03星座の親しみ(山本一清著) 本書は、山本一清氏(1889-1959)が、1921年(大正10)に出版したものの新版(最終版)です。全部で79ページにまとめられた、とても読みやすい内容の本です。 山本一清氏は、京都帝国大学教授であり、花山天文台初代台長でした。また、天文同好会(後の東亜天文学会)の創設者でもあります。山本一清氏がいなければ、中村要氏も天文の世界に入らなかったでしょうし、多くのアマチュア天文家の輩出もなかったことでしょう。 天文詩集となっていますが、主な内容は、星座解説です。ところどころに、古今の詩人の文章が散りばめられています。1921年当時、一般向けの天文関係の書籍は珍しかったようです。それだけに、この本は多くの青少年を虜にし、天文学者や天文愛好家を育てる原動力...