伊達資料の精査

 manami.sh様のコメントや天文古玩様のご紹介のように、故伊達英太郎氏が遺された資料は、戦前の日本アマチュア天文史を語る上で、たいへん貴重なものです。

 そこで、改めて伊達資料を精査し、時代を追ってご紹介していきたいと思います。

 伊達氏の天文蒐集帖I ,IIは失われています。Ⅲには、1932年(昭和7)9月〜1934年(昭和9)2月までの資料が残されています。

 伊達英太郎氏天文蒐集帖Ⅲの最初にあったのが、中村要氏逝去(1932.9.24)の新聞記事でした。記事の内容から、昔は故人の尊厳という意識がなかったことが窺えます。

 

 中村要氏を顧問として迎えていた天文研究会にも激震が走りました。

 中村要氏を死に追いやった正確な原因は不明です。しかし、考えられることとして、

1.中村家の家計を共に支えていた兄(医師)の死去による負担の増大(3年前から)

2.働きすぎによる不眠、乱視(回復の望みがなくほぼ失明状態)、精神的な不安定

3.直近の最愛の祖母の死去(直接的なきっかけ?)

4.大学での孤立、周囲の白眼視(「日本アマチュア天文史」P.293,木辺氏の証言)

(一介の助手が山本一清氏からの厚遇を受け、天文同好会・東亞天文協会内では大家扱いをされている。)

 教授である山本一清氏を退官に追いやった学内の嫉妬・やっかみは、まず立場の弱かった中村要氏に向けられていたのではないかと想像します。

(参考文献)

故伊達英太郎氏天文蒐集帖Ⅲ

中村要と反射望遠鏡,冨田良雄・久保田詢,ウインかもがわ,2000

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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