岩橋善兵衛(1)

 岩橋善兵衛(1756~1811)は、大坂和泉貝塚の人です。江戸時代の代表的な望遠鏡製作者で、岩橋家は明治まで5代にわたり、望遠鏡製作を続けました。子孫は、現在大阪心斎橋で株式会社岩橋(時計・宝石等販売)を経営しています。

 伊達英太郎氏の生家の「てんぐ履物舗」(1895年〜2011年)は、岩橋時計店とは向かい合わせの位置関係にありました。

 1936年(昭和11)10月1日発行の「心斎橋新聞」です。伊達英太郎氏も、記事を時々寄せていたようです。

(参考文献)

岩橋善兵衛,Wikipedia ,2022.4.27閲覧

心斎橋新聞,1936.10.1,心斎橋新聞社

THE MILKY WAY第2号,伊達英太郎,弘文社,1932.10.1

(写真は伊達英太郎氏天文写真帖、新聞記事は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)

岩橋善兵衛と望遠鏡|貝塚市

岩橋善兵衛(1756~1811)今から約200年前、江戸時代の寛政5年(1793年)頃、日本一優れた望遠鏡を作ったのが岩橋善兵衛です。 岩橋善兵衛は1756年、貝塚脇浜新町で生まれました。幼い頃から利口で器用で自然科学に関心が深かったようです。成人になってからは昼は眼鏡職人として眼鏡のレンズを磨いて販売して生計をたてながら、オランダからの渡来品の望遠鏡を見て研究を重ね、向学心を燃やし続けました。 やがて、日時計を考案したり窮理(物理)を極めるために自然科学者に教えを乞い、ひとかどの科学者になりました。そうして1793年、38才のとき独創で望遠鏡を作りました。板で筒を作りレンズをはめた望遠鏡で窺天鏡と名付けました。 その後も独自のアイディアで様々な望遠鏡を製作し続けました。紙を幾重にも巻き漆を塗った一閑張望遠鏡や竹筒の望遠鏡など、舶来品に優るとも劣らぬ望遠鏡を作りました。当時の日本で自らレンズを磨き望遠鏡の製作を専業としていたのは善兵衛だけで、性能や製作数も他の職人を圧倒していました。寛政改暦では徳川幕府の天文方に用いられたのをはじめ、日本地図作成時には伊能忠敬にも用いられ紀伊和歌山の徳川家、近江彦根の井伊家、播磨明石の松平家など諸大名や江戸、大阪、京都の学者から天体観測用や軍事・航海目的のため需用が高まりました。 また月の満ち欠けや星の位置や大阪湾の潮の干満を読み取るオリジナル星座早見盤(平天儀)を作成し江戸時代の日本の自然科学や天文学の発展に貢献しました。善兵衛の望遠鏡やこれらの観測機器や解説書は大阪府の有形文化財・歴史資料に指定されています。善兵衛ランド展示室で常設展示しています。 貝塚市の生んだ江戸時代のすぐれた科学者の業績に触れて頂きたく、ご来館をお待ちしています。

www.city.kaizuka.lg.jp

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

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  • double_cluster

    2022.04.28 22:21

    ありがとうございます。伊達氏と岩橋氏とはご近所ということで、記事の内容もリアルですね。次回は、岩橋善兵衛の「平天儀図解考」をご紹介します。
  • manami.sh

    2022.04.28 13:28

    福井氏の「星団星雲巡礼(下)」も見たかったです。伊達氏の「岩橋善兵衛」は今でも価値は失っていないと思います。今、読んでも面白いです。