1933年(昭和8)8月、土星面に巨大な白斑(発見者は、イギリスの有名な喜劇俳優ウィル・ヘイ等)が出現しました。土星本体の1/10位の巨大な白斑でした。これはそれを告げる、射場天体観測所からのニュースです。コペンハーゲン国際天文中央局から東京天文台に入電した内容は、京都帝大・東北帝大・水澤緯度観測所・射場天体観測所に原文のまま転送されました。射場天体観測所は海外では天文台として認識されていました。
「コペンハーゲン国際天文中央局 国際天文学連合 通達第446号
土星の白斑
シャプレー教授からの電報によると、米海軍天文台のヘルウェグ大尉が電報で次のように伝えている。
土星の赤道付近に、惑星直径の約10分の1の大きさの大きな白い斑点が確認された。グリニッジ標準時で中央部に位置。ウィリスにより観測され、他の2名により確認された。
B.A.A. サーキュラー第137号は、8月3日22時30分(世界時)にノーベリー在住のウィット・ヘイ氏による当該天体の発見を発表する。W.H.スティーブンソン博士による記述は以下の通りである:
その輪郭はやや楕円形で、赤道帯の南縁からクレープリングの投影部まで、赤道域の可視範囲全体に緯度方向に広がっている。小型望遠鏡でも十分明るく目立つ。
東京天文台より8月25日午前9時受信」
射場氏による書き込みは以下の通りです。
「グリニッチ標準timeの8月5日5時18分、土星の中央子午線赤道に近く、土星本体の直径の殆ど1/10位の大なる白点が見られた。北赤道帯のクレープリングの投影している所」
御参考迄に御送付仕ります 射場生
伊達英太郎様 福井実信様
山本一清氏からニュースを聞いた木辺氏が、伊達氏に送った土星白斑に関する手紙です。
1933年は火星の接近もありました。そして、満を持して、1933年10月東亞天文協会遊星面課が誕生しました。課長:山本一清博士、幹事:木辺成麿氏、課員:伊達英太郎氏・沓掛七ニ氏・荒木健児氏でした。
1933年の土星スケッチです。北川氏と渡辺氏のスケッチに、白斑のようなものが見られます。
(参考文献)
日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987
惑星ガイドブック1,月惑星研究会編,誠文堂新光社,1981
(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)
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