生駒山天文台(1)

 大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)から京都大学に20万円の寄付(現在の貨幣価値に換算すると約5億円)があり、1941年(昭和16)に完成したのが生駒山天文台(太陽観測所)です。そして、それを中心とした普及団体生駒山天文協会(台長及び会長、上田穣博士)は、戦時下の1942年(昭和17)に発足しました。

 イギリストムキンス社製60cm反射望遠鏡が一般に公開されるようになったのは、戦後天文博物館(1951年7月)ができてからです。

 60cmミラーは、大阪市立科学館に展示されていたものを撮影しました。「ふーさん」のブログによると、鏡筒や架台は、大阪市立科学館の倉庫に保管されているそうです。

 生駒山天文台に関する1936年(昭和11)9月の新聞記事

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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