大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)から京都大学に20万円の寄付(現在の貨幣価値に換算すると約5億円)があり、1941年(昭和16)に完成したのが生駒山天文台(太陽観測所)です。そして、それを中心とした普及団体生駒山天文協会(台長及び会長、上田穣博士)は、戦時下の1942年(昭和17)に発足しました。
イギリストムキンス社製60cm反射望遠鏡が一般に公開されるようになったのは、戦後天文博物館(1951年7月)ができてからです。
60cmミラーは、大阪市立科学館に展示されていたものを撮影しました。「ふーさん」のブログによると、鏡筒や架台は、大阪市立科学館の倉庫に保管されているそうです。
生駒山天文台に関する1936年(昭和11)9月の新聞記事
(参考文献)
日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987
(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)
0コメント