倉敷天文台100周年(5)

 1928年(昭和3)11月27日の月食連続写真です。撮影は山本一清氏、場所は倉敷天文台です。

 写真をトリミングし、コントラストを上げてみました。

 撮影開始時刻は午後5時19分、2~3分間隔で6回2秒ずつの露出をしたことが、下のハガキ(写真裏面)の説明で分かります。

 1932年(昭和7)9月15日の部分月食です。「天界」(1932年9月号)に、「この月蝕は早暁の西天に低く見え午前4時18分2、月の左上の方から欠け始め6時0.5分に食甚となるがこの時分既に日本中央部の人々には月没の時刻になっていて全部の観測は出来ないのである。従って我々は欠けたままの月が西に沈むのを見ることになる。」とあります。

 「天界」(131號)を調べると、3月22日の部分月食として、以下の説明がありました。

「22日に部分月食がある。直径の9割7分は欠けるので、殆ど皆既食に近い。我が国からは充分見ることが出来る。食の始まりは、午後7時59分12秒、食甚は同9時32分12秒、食の終わりは同11時5分12秒、同日の月の出は午後5時57分、月の入りは翌日午前6時10分」

(追記)

 上の4枚の写真は、月の欠け方から見ても、月食とは関係ないように思えます。

 1932年〜1933年頃、カルバー32cm反射望遠鏡で撮影された木星です。

(引用)

本年九月の天象,天界,1932,9(134):318,天文同好会

伊達英太郎氏天文写真帖

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

3コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2022.07.16 00:17

    「天界」(1932.5,No.133)の倉敷天文台通信に  「(3月)最後の31日に郷里玉島の安原久美子夫人が来訪された。夫人は私の和歌の先生である。歌物語がはじまっているところへ、六校の東君が加わられ、にぎやかであった。  倉敷天文台の屋根の下にはつくしが生える。つくしを摘んでおすしをする時には、皆さんには御案内状を差し上げますからーーーー。」(荒木健児) と、ありました。荒木氏の趣味の良さを感じさせますね。
  • double_cluster

    2022.07.14 11:52

    いつもコメントをいただき、ありがとうございます。荒木氏の金星の月面経過、謎解きのようでした。「天界」に答えを見つけた時は、びっくりし、「ヤッター」という気分になりました。「天界」の中の「倉敷通信」にも、荒木氏の和歌の先生が訪ねて来られたという箇所がありました。荒木氏は1902年生まれですから、倉敷天文台に着任したのが」29歳、黄道光観測所に異動したのが35歳の頃になりますね。岡山は瀬戸内で島が多く、海産物も豊富です。岡山はとても豊かな土地だと思います。荒木氏の「倉敷通信」を読んでいると、この人は文章が上手いなあと感心します。
  • manami.sh

    2022.07.13 13:19

    「月と金星」の写真については、荒木氏も気になさっていたのでしょうか。文章に残されていることからも察せられます。また、前後しますが、その写真が残っており、文章の意味が明らかになったことは、非常に感慨深いです。荒木氏については、殊に黄道光の観測で著名であり、また、私的にはOAA月面課の初代課長 として興味がありますが、ご自身は短歌を詠まれています。「歌集 青磁の壺」白玉書房 1965があります。その中で「数学と自然科学とに凝っていた私が、三十一音の短詩型に心をひかれるようになったのは、私の三十歳の頃で、瀬戸の海がはぐくんでくれたといふほどのものでもあるまい。(中略)多くの歌友に恵まれ、をりをりの清談を楽しむ私、今年も美しい歌をつくりたい。」と記しています。ちょうど瀬戸村黄道光観測所が出来た頃でしょうか。また、別の一面がわかります。