いつもコメントをいただいているmanami.sh様から、表題の文章(著者:伊達英太郎氏)を教えていただきました。伊達英太郎氏を理解する上でもとても貴重な文章だと思いますので、「天界」(第205)より引用します。
「明星商業学校天文部に就いて」 伊達英太郎
大阪市東区玉造に近い真田山に、鉄筋コンクリート三層建の洋館が小生(伊達英太郎氏)の母校明星(めいせい)商業学校である。商業学校を卒業しながら天文に趣味を持った事も妙なコントラストであるが、其母校にしかも小生が全然知らぬ間に天文部が出来上がった事は又々不思議な因縁と言わねばならない。そこに、気象天文部(母校ではこれを合体して理科学会と称している)を創設された理科担任の川上英先生を初め自然科学を愛好する部員学生諸君の努力を忘れてはならない。
天文部が出来上がって間もなくプラネタリウムで太陽観測の指導に当たってもらった。この交渉も自分がやったのでなく大口氏が当たられたのだった。この時に自分は、母校に天文部が出来た事を初めて知った迂闊さだった。
明星商業の理科学会は気象部と天文部に大別され、気象部が創設されたのは昭和6年(1931)秋で相当古く、且つ為されている観測も堂々たるもので、「良い加減な地方測候所には負けないつもり」と自負される丈に、気象観測器械は一通り以上揃っているし、川上先生の熱心さと相まって日々、9回の観測結果は7年の歴史と共に輝いている。しかし、天文部は開設されてから未だやっと1年を迎へんとする赤ん坊で、これは会員諸賢の御指導御鞭撻をお願いしている実情であります。
今両部の組織を一瞥しますと、上の様に分かれており各部の主任、部長、課長、課員は川上先生及び生徒諸君によって分担され日々の観測を励み統計を取りつつ研究されている。
本部は同校理科室におき、研究室は屋上気象観測室に置かれている。尚、同校観測室を中央観測所とし、生徒諸君各自の自宅を第1、第2・・・・観測所と称して相提携相呼応しつつ観測されている。次に気象天文部の概略を示すと・・・・
気象部--------気象一般に要する自記測候器械全般(頁の都合で詳細は略)、仕事として特記すべきは、測候所にても行われない「雨滴」の研究をしている事であろう。其の他日々9回の観測等で、只費用の関係で測風気球観測日数が少ない点が遺憾とは川上先生の話。
天文部--------以前から同校の一卒業生により寄贈されてあった、五藤式乙號屈折望遠鏡(25mm口径シングル対物)を用いておられたが、小生が今回26cmを新設したので11cm反射手動赤道儀が空く様になったのでこれを昨年末[1937年(昭和12)]より使用して頂いて、太陽黒点、遊星面、変光星等を観測されている。
4月[1938年(昭和13)]には同校でO.A.A.大阪支部の例会が開かれると言うので、川上先生初め部員生徒諸君のハリキリ振りは凄まじい物がある。小生の母校でもあり、「明星」と言う校名からも、是非大阪、学校支部随一の名実共に備わった学校支部となすべく、川上先生並びに生徒諸君の御精進を期待すると共に、諸賢の御指導をお願い致します。
(追記)
「伊達英太郎氏天文蒐集帖」に明星商業理科學会の1938年(昭和13)組織票・会則・名簿・月報が残されていました。貴重な資料ですので、ここに公開します。
明星商業学校の制服姿の伊達英太郎氏
11cm反射赤道儀の代わりに、伊達観測所に新設された76mm屈折赤道儀(1943年頃)
経緯台に載った76mm屈折望遠鏡と伊達英太郎氏(撮影時期未定)
(引用)
明星商業学校天文部に就いて.伊達英太郎,1938,5(205):230,東亞天文協会
(写真は伊達英太郎氏天文写真帖、資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)
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2022.08.10 23:45
2022.08.10 12:34