再研磨

 中村鏡No.44の裏面に、1927marchのサインがあります。これは、研磨完了の時期を表します。ですが、中村氏の光学ノート44号には、「1928.Oct」の記述が付け加えられています。「1928.Oct」の意味は何だろうと、ずっと不思議に思っていました。

   そんな時、「THE MILKY WAY 第5号」(伊達英太郎著、天文研究会、1934.3.30発行)を読んでいて、「1928.Oct」の謎が解けました。島田氏の、「日本における反射望遠鏡及びそれに繋がる人々」の文章中にそれに関する記述があったのです。以下は、その抜粋です。

 「日本の反射鏡界が、故中村氏によって完璧の域に達したことは、何人も知るところである。(中略)水沢の山崎正光氏のあることは、氏が反射鏡の自製方法と天文月報に寄せられたことによって、上野氏や中村氏が自作の可能と自信を益々強められた原因となったのである。故中村氏は、その作品中番号100番以後の作品は、技術的に全く理想的なものを作られておった。100番位に達してから、初期の作品を改めて磨き直されたものが多数あることを、昨年花山で会った折語っておられた。恐らく中村鏡は、全部と言っても良いくらい優秀品ばかりであろう。今は、氏のあまりにも早く昇天されたことを一人、反射鏡やレンズ界のためのみならず、日本の学術界のために痛嘆してやまない次第である。」

(1933年(昭和8)9月4日 

南紀田辺にて 島田 儀太郎)

 中村氏は、初期の作品を再研磨していたのです。1928年になると、中村氏の研磨した鏡面は、100号を超えていました。氏が完璧な技術で再研磨したNo.44鏡。思わず鳥肌が立ってしまいました。

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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