西村製作所製15cm反射経緯台の製造年は、1943年(昭和18)です。入手以来気になっていたのが、写真1枚目右のふたの存在でした。(左側は、筒口のふた)私は、さすが昔の望遠鏡は、丁寧な工作をしているものだとしか考えてきませんでした。そのため、冬場戸外から室内に入れる際に、鏡面の結露防止のために活用していました。この使い方が、本来の意図とは違うことが、「反射屈折天体望遠鏡作り方観測手引」(中村要著・新光社)を読んでいてようやく分かりました。第三章「鍍銀(メッキ)の注意」として、「鍍銀面は吸取り紙を入れた蓋さえつけておけば普通一年は使える。」とあります。第六章 十、「鍍銀面の注意」として、「日本では絶えず蓋さえしておけば田舎で二年、小都会で一年、工業都会で半年は普通使えるらしい、我慢すれば此の倍は使える。」ともあります。ご存知のように、銀メッキ面は、空気中の硫化物と反応して黒くなり、反射率を落とします。本来の意図は、銀メッキ面を、空気中の硫化物から遮断することにありました。
1843年にイギリスのドライトンが、ガラス面の化学的銀メッキ方を発見しました。そして、フランスのフーコーが、1857年に世界最初のガラス銀メッキ凹面反射鏡を製作しています。真空蒸着によるアルミメッキが実用化されたのが1960年代ですから、この望遠鏡が製造された1943年は、当然化学的銀メッキ法しかないことになります。
3枚目の写真は、主鏡の裏面に入れられていた紙です。時代がかった色をしていますが、主鏡セルとの隙間調整の役割の他に、吸取り紙としての機能もあったようです。そのせいか、紙の中央部がふやけて変色していました。
(参考:「反射屈折天体望遠鏡作り方観測手引」・中村要著・新光社、「望遠鏡発達史下」・吉田正太郎著・誠文堂新光社)
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