天体観測講習キャンピング

 1938年(昭和13)8月4日から7日にかけて、大阪南海沿線助松海岸でもたれた、天体観測講習キャンピングです。東亞天文協会大阪支部主催の行事でした。キャンプ地は、田中宗愛博士邸(遠州園)でした。

 キャンプの翌年、1939年(昭和14)2月1日、田中宗愛博士が逝去されました。追悼記事が「天界」に掲載されました。

 1939年(昭和14)8月8日から13日にかけてもたれた、天体観測講習キャンピングです。田中博士逝去後も、助松海岸田中邸で行われました。

 黒板にある「田中宗愛博士展墓」とあるのは、2月1日に逝去された、同博士の墓参という意味です。

 大口氏の15cm反射経緯台と伊達英太郎氏。

(参考文献)

天界第210號,東亞天文協会,1938/9/25

天界第217號,東亞天文協会,1939/4/25

東亞天文協会大阪支部報,東亞天文協会大阪支部,1938/7/29

東亞天文協会大阪支部報,東亞天文協会大阪支部,1939/8/1

(東亞天文協会大阪支部報は伊達英太郎氏天文蒐集帖,写真は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)



中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

4コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2023.04.28 08:25

    ありがとうございます。京星会は、ハイキングをとても大切にしていたようです。また、運動部もありました。京星会が他の会に及ぼした影響は大きいように思います。
  • manami.sh

    2023.04.27 22:54

    会員の親睦をかねての天文ハイキングは、この頃から始まったのでしょうか。結構、会則に天文ハイキングが記されているのを見かけます。文章に、更に写真が添えられていると、雰囲気が伝わります。
  • double_cluster

    2023.04.27 22:48

    渋谷様、コメントをありがとうございます。助松海岸でのキャンプは、上が3回目、下が4回目でした。おっしゃるとおり、参加者の笑顔が印象的です。ただ、戦局の拡大に伴い、その後の継続は難しかったかもしれませんね。