浅居正雄氏

 1941年(昭和16)頃、柿岡地磁気観測所を訪問した、横浜すばる会のメンバーと柿岡地磁気観測所職員です。

 左端が森久保茂氏、左から3人目が浅居正雄氏、左から5人目が柴田淑次氏(柿岡地磁気観測所)です。

 上は、柿岡地磁気観測所のツァイス20cm屈折を覗く浅居氏と柴田氏。

 横浜すばる会は、浅居正雄氏と森久保茂氏が創めました。浅居氏と伊達英太郎氏は交流があり、伊達英太郎氏天文写真帖には多くの写真が残されていました。

 横浜すばる会は、戦時中服部博氏が亡くなり、戦後住所不明になった会員もあって、会員が減少しました。しかし、新たに加わった河原郁夫氏や、会員外の佐久間精一氏・前川光氏・原田光次郎氏等の活躍により活動は隆盛となりましたが、1948年8月に浅居正雄氏が亡くなり活気を失いました。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

(写真は伊達英太郎氏天文写真帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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