1941年中国大陸・台湾・石垣島皆既日食(9)

中国大陸皆既日食(1),海軍省軍務局長より支那方面艦隊参謀長への書類(1941年4月28日),東北帝大「簰州に於ける皆既日食観測計画並に海軍に便宜供与方願出たき事項覚書」(1941年4月)

 中国大陸に遠征した東京帝大・京都帝大班は、漢口南方賀勝橋に観測拠点を置きました。また、東北帝大班は湖北省嘉魚縣(かぎょけん)簰(はい)州を観測拠点としました。日中戦争のさなか、また、太平洋戦争開戦直前のため、遠征には軍の許可・協力・援助が欠かせませんでした。特に東北帝大班の松隈健彦教授は、元海軍兵学校の教官であったため、海軍から手厚い援助を受けました。

 東北帝大松隈教授について書かれた、当時の新聞記事です。一部を引用します。

「(前略)ここに本拠を定めたのについては 麗しい師弟愛が秘められている 班長松隈教 授は かつて海軍兵学校の数学の教官であり 今大佐級の人々は 全部教授の弟子にあたる ので 海軍では非常にこの観測班のために力 を入れ 簰州なら何から何までお世話できる からとのことで 一行は観測機械から寝台 畳はもちろん 冷蔵庫まで一切海軍の手で運 んでもらい 特に警備兵として一行に加わった飯田三曹 吉武一機の両勇士が万端の世話 をやき 食料や水も 3 日ごとに海軍から届け られている(中略)観測班のメンバーは 松 隈教授をはじめ いずれも5年前北海道にお ける観測の経験者で 皆自信たっぷり 21 日午後 1 時 16 分から 19 分までの皆既の時を 待ち構えている(後略)」

 上は東北帝国大学日食観測隊(松隈班)を警護する兵士

 東北帝大日食観測隊に便宜供与する件についての、海軍省軍務局長名の書類です。 

「軍務一第一〇五號 昭和16年4月28日 海軍省軍務局長 支那方面艦隊参謀長殿 学術的天象観測に関し便宜供与の件照会 本年9月21日 皆既日食観測位置として 簰州が最適当なるにつき 便宜供与あり度旨 水路部を通じ 申入来りたる所 当方として 学術振興支援 並びに 海軍の指導力強化の見地より 貴方に於て 差支なければ 便宜供与方取計い度く意向なるに付 支障の有無承知致度 追て観測計画並に 便宜供与の程度に関しては 別紙参照あり度 (別紙添)(終)」

「簰州に於ける皆既日食観測計画並に海軍に便宜供与方願出たき事項覚書

昭和16年4月

東北帝国大学教授 松隈 健彦

(1)計画

1.日食時日 昭和16年9月21日

2.観測場所 漢口上流約40浬(かいり:1浬は1852m、40浬は約74㎞)簰(はい)州

3.観測母体 東北帝国大学理学部天文学教室 右責任者 教授 松隈 健彦

4.観測人員 教授1人、助教授1人、助手3人 他に学生2人位の見込

5.観測事項 観測地の経緯度測定 アインスタイン効果」

水路部内追記事項

「教授 助教授 一柳壽一 助手 小貫 章 同 吉田正太郎 同 中村弘陸

×他に学生2人位の見込」

「閃光スペクトル コロナ スペクトル

6.観測器械類 合計容積 8トン位 個数 80個位 内最大重量品 約1トンのもの1個 その

       他は凡て人夫1人にて運搬し得るもの

7.行動日程 8月10日頃 器械、人員 現地着 9月24、5日頃 現地引揚

(2)希望事項

8.芝浦(又は横須賀、呉、佐世保)上海間 及 上海現地間往復 海軍艦船に依る 器械及人員の無賃輸送(人員は少なく共1名は器械に付添い同乗希望) 及 陸揚 積込

9.現地の警備

10.食料品の一部、直流電源(6ボルト、二次電池充電用 1/4又は1/8馬力」

*無賃輸送に横線あり、欄外上に「無用」の書き込みあり

水路部内追記事項

6.観測器械類 合計容積 8トン→10トン 重量8トン

7. 行動日程 8月10日→5 8月5日に佐世保出港(おそくなら〇〇〇

       26漢口・・・29 ×-2 27・・・×-1 ×‐4)上海着

(2)希望事項

8.(4名は器械と共に会社船 1名は南京漢口間往復)

10.直流電源の横二重線→発電機 100V1.5kw ×1/4 ×1/8

「モーター 写真現像用蒸留水 及 氷の供与

(3)雑件

11. 昨昭和14年 松隈教授 中支方面出張の際 上海にて 及川大将(当時支那方面艦隊司令長官)に御面接 長官のお勧めにより 観測候補地として簰州と決定し そのご尽力によりて 当時現地視察を遂げたり

12. 宿舎として寺院を借り受け 同所にて自炊生活をなし その寺院の傍らにある芝地に観測器械を据え付けることに 簰州の中国人責任者と約束済

13. 材木セメント等は 現地にて入手し得る見込みなるも 或いは漢口にて 海軍の御世話を願うことになるやも計られず 人夫は約2,3名雇い入れたき希望にて 是又 漢口にて海軍の御斡旋を乞うことになるやも計られず

14. 前記の希望事項は 勿論希望の最大限度を記したるものにして 海軍の御都合により 出来るだけにて結構なり 只あらかじめその範囲に就て御内示」 

水路部内追記事項

「1行目 ×モーター 12.× 13.×」 

 「を受くる事を得ば幸いなり

15. 萬一海軍の都合上 事前に至りて 本計画遂行不能なるが如き事あらば 観測地を 第2候補地たる石垣島に変更したきにつき 準備の都合もあり なるべく早く御内報を得たし」(終)


 海軍の書類は、同一の物を上下に掲載しています。下に、海軍(水路部秋吉利雄大佐?)による詳細な書き込みがあります。

 遠征の往復は海軍の艦船を使用・軍による警備の実施・発電機の貸与等、東北帝大班が求めた便宜の内容がよく分かります。漢口上流の簰州が無理な場合は、石垣島を遠征先に考えていたようです。

(引用)

お世話はいっさい海軍で,大阪毎日新聞,1941/9/9

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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