1941年中国大陸・台湾・石垣島皆既日食(10)

中国大陸皆既日食(2),東北帝大松隈教授「皆既日食観測計画並びに便宜・供与方願出事項覚書」、秋吉大佐メモ

 東北帝国大学松隈健彦教授から、海軍に提出された手書きの「皆既日食観測計画並びに便宜・供与方願出事項覚書」です。この覚書に対して、水路部の秋吉利雄大佐が、綿密な計画を立てていたことが下のメモから分かります。

「簰(はい)州に於ける皆既日食観測計画並に海軍に便宜供与方願出たき事項覚書

昭和16年4月 東北帝国大学教授 松隈健彦

(1)計画

1.日食時日 昭和16年9月21日

2.観測場所 漢口上流約40浬(かいり:1浬は1852m、40浬は約74㎞)簰州

3.観測母体 東北帝国大学理学部天文学教室 右責任者 教授 松隈健彦

4.観測人員 教授1人、助教授1人、助手3人 他に学生2人位の見込

5.観測事項 観測地の経緯度測定 アインスタイン効果 閃光スペクトル コロナ スペクトル

6.観測器械類 合計容積8トン位 個数80個位 内最大重量品 約1トンのもの1個 その他は凡て人夫1人にて運搬し得るもの

7.行動日程 8月10日頃 器械、人員 現地着 9月24、5日頃 現地引揚」

「(2)希望事項

8.芝浦(又は横須賀、呉、佐世保)上海間 及 上海現地間往復 海軍艦船に依る 器械及人員の無賃輸送(人員は少なく共1名は器械に付添い同乗希望) 及 陸揚 積込

9.現地の警備

10.食料品の一部、直流電源(6ボルト、2次電池充電用 1/4又は1/8馬力

モーター 写真現像用蒸留水 及 氷の供与

(3)雑件

11.昨昭和14年 松隈教授 中支方面出張の際 上海にて 及川大将(当時支那方面艦隊司令長官)に御面接 長官のお勧めにより 観測候補地として簰州と決定し そのご尽力によりて 当時現地視察を遂げたり

12.宿舎として寺院を借り受け 同所にて自炊生活をなし その寺院の傍らにある芝地に観測器械を据え付けることに 簰州の中国人責任者と約束済

13.材木セメント等は 現地にて入手し得る見込みなるも 或いは漢口にて 海軍の御世話を願うことになるやも計られず 人夫は約2,3名雇い入れたき希望にて 是又 漢口にて海軍の御斡旋を乞うことになるやも計られず」

「14.前記の希望事項は 勿論希望の最大限度を記したるものにして 海軍の御都合により 出来るだけにて結構なり 只あらかじめその範囲に就て御内示を受くる事を得ば幸いなり

15.萬一海軍の都合上 事前に至りて 本計画遂行不能なるが如き事あらば 観測地を 第2候補地たる石垣島に変更したきにつき 準備の都合もあり なるべく早く御内報を得たし」(終)

 東北帝大や上海自然科学研究所の申し出に対して、水路部の秋吉利雄海軍大佐が、中国国内の事情や陸軍との関係をよく考慮していたことが分かるメモです。

「東北大学 佐藤君発表 光30万km/sec Corpuscular(corpuscular theory:光が粒子の流れとして伝えられるという理論)

・220km above 紫外線日食、地球のa bを250kmずつ増すことを〇〇〇〇

・corpuscular 100km計算中

・簰州 風NW 水あり 木材先ず問い合わす 電気なし

・〇〇 陸軍のを活(活用?)

・電波 地球上(伊藤君)100,200,300kmの高さの〇い線

 (或いは250km)の高さの推算の線が欲しい

 微粒子用250km上の推算希望

 ☉(太陽)面の白斑(Calcium facula)が影響あり 白斑の特別観測

 電波研究は委員会にて統制して実施す

 (漢口に恒久的電波観測所を置く)

 漢口 簰州 南昌 〇〇(?)

 陸軍 海軍 逓信省 上海自然科学研究所

 corpuscular 1600km/sec

 100 100km e層,200km f層

 200 ultraviolet(紫外線)のequal intensity(等しい強度)のcurve

 graphically(図表を用いて)には簡単に〇ずや

 corpuscular volをparameter(媒介変数)として推算せられたし」

「水路は 方面艦隊ならば・海軍は軍需部の船 興亜汽船の定期便 陸軍御用船 碇泊地司令部の船にて 上海より漢口〇とす 復〇 水路には なかなか〇かれず 水路に未信 九江基地隊(又は測量隊)に頼めば 汽車等の手配はしてくれん 附近は 廬山の南西麓 〇〇 永修よりもよろし

 鉄道は陸軍にて手配して居る  運賃は要るやも知れず 電灯はある 家は泊る家はある(陸軍中隊に入るを可とす) 陸軍部隊あり(九江よりの部隊) 警備兵を出して貰う(陸軍) 又は海軍ならば九江より〇〇に千km位

・上海〇〇 通州1日 南京2日 九江4日又は5日午前

・簰州 九江より更に2日(人口1万) 漢口に寄れば3日目

 水路のみにて行ける 漢口根拠地隊 及一遣丈司令部あり 川島隊もあり

 警備 陸軍なければ 海軍より出す 海軍に頼めば陸軍も頼んで貰えん

 興亜院 上海特務部 鎮守府 漢口特務部 附近は平地 民家のみなり

・電気なし」

「上海→海軍〇〇〇〇〇〇 漢口→簰州3日かかる→軍需部の船にて九江 三日目位に出ん」

   

 秋吉利雄海軍少将(階級は終戦時,1892-1947)、1944年1月の写真です。当時秋吉利雄海軍少将は、水路部第一部長と第二部長を兼務し、激務の最中にいました。

(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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