上海自然科学研究所、1941年(昭和16)5月28日 東中秀雄氏の手紙
上海自然科学研究所は、1930年代初頭、日本政府が中国上海に設立した研究機関です。研究所の設立には、1900年(明治33)に起こった義和団事件の賠償金の一部が使用されました。研究所設立は、日本政府の中国に対する宥和政策の一環でした。しかし、1932年(昭和7)の第一次上海事変、1937年(昭和12)の第二次上海事変により、上海自然科学研究所は大きく揺さぶられることになりました。
上海自然科学研究所には、医学・病理学・地質学・生物学(細菌学)・物理学などの学科が設けられました。物理学科には、京都帝国大学関係者などが研究者として赴任しました。
上海自然科学研究所第二代所長署理(日本人所長には署理が付けられた)として、純粋科学のための研究活動を推し進めたのが新城新蔵氏(京都帝国大学第8代総長)でした。新城氏は政治的混乱の中、中国国内の貴重な資料保全のために東奔西走しましたが、悪性赤痢のため、1938年(昭和13)に南京にて客死しました。
1941年(昭和16)5月28日、上海自然科学研究所 東中秀雄氏から、水路部・秋吉利雄大佐に送られた手紙です。東中氏は京都帝国大学理学部地質学鉱物学科を卒業し、同学科副手を経て、上海自然科学研究所理学部物理学科に赴任しました。
「拝啓 永らく失礼しております。御壮健の御事と存じます。はなはだ唐突ながら、この九月の皆既日食の際の磁気観測につきまして、当方では、漢口・南昌・ロタ島の三箇所へそれぞれ一班ずつ行くことになっておりますが、ロタの様子が判りませんので、お尋ねいたしたいのであります。ロタへは私と他二名行くことになっております。用件は、
1.ロタに電気はありますでしょうか。あれば直流か交流か、何ボルトか。
1.約1ヶ月滞在しますが、食糧、飲料水等の用意は別にしなくてもよいでしょうか。旅館はありますでしょうか。
1.ロタの地図がございましたらいただけませんでしょうか。
1.現地で自記磁気儀の小屋が必要なのですが、土人(*差別用語ですがそのまま用います)小屋を利用するか。別に椰子等を以て建てるかしなければなりません。これに必要な木材、また、大工代わりの人がいられるでしょうか。
1.横浜よりサイパンパラオ行きの汽船はロタへ大部分が寄港してよいそうですが、何か便宜があるでしょうか。例えば地方行き航路といったようなものが。
右お尋ねいたします。実は福州方面の治安が大分よくなったと聞きまして、その方へ行こうかとも思っていたのですが、やはりとても行けないと聞きましたので、ロタへ行くことに決心したのであります。ロタへは九州の伊藤教授が行かれるようですが、他にどなたか行かれるでしょうか。
京都の長谷川教授より秋吉大佐に通知すれば御便宜が得られるでしょうとの便りを受けましたので、甚だ厚顔ながらお尋ねする次第であります。どうかよろしくお願いします。
前のローソップでの観測では、大変御面倒を見ていただき、その後久しく御無音勝(ごぶいんがち)で◯◯申し訳ありません。突然の便がまた御迷惑をお掛けすることになり、重ね重ね恐縮であります。どうか悪しからずお願い申し上げます。
末筆ながら、桑原様によろしく御風声願います。敬白
五月二十八日 上海自然科学研究所 東中秀雄
海軍大佐 秋吉利雄殿侍史」
(参考文献)
武 継平,『自然』という雑誌について,福岡女子大学国際文理学部紀要,2016,第5号
佐納康治・永野宏,上海自然科学研究所物理学科と京都帝国大学理学部との関わり(特別寄稿),京都大学学術情報リポリトジ,2010-03-25
(新聞記事は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)
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