1941年中国大陸・台湾・石垣島皆既日食(14)

南洋興発株式会社 小笠原氏との面談(6/16)、南洋航路予定表・運賃

 南洋興発株式会社は、第一次世界大戦後、大日本帝国委任統治領になった南洋諸島サイパン島に1921年に設立されました。社長は松江春次(1876-1954)でした。南洋興発は、「海の満鉄」と言われるほどの巨大企業でした。関連企業は20数社、社員は48000人を超えました。しかし、日本の敗戦に伴い、1945年(昭和20)9月に閉鎖されました。


「東拓ビル5階南洋興発株式会社に於て、小笠原三郎(ロタ製糖所庶務勤務の人にて8月上旬現地に趣もむかれる由)氏に就き聞き得たる事項次の如し

1.電気に関する事項

発電は重油にて現在は重油配給少なき為、点灯は17:00-21:00迄。但し、市街地は22:00迄。工場は直流、電灯は交流100 v 。

2.宿舎関係

興発の倶楽部或は宿舎を適宜提供致し都合はつき得る見込なり。但し寝具等は1人1枚毛布の用意あらば充分なるべし。

3.糧食関係

出来得れば飯米携行下さらば幸ならんも、人数及滞在日数等を記入し、当社会長松江春次宛依頼到さるれば都合は出来ると思う。

4.材料及び人夫

材料はある。人夫(大工)は不足なるも、当社に依頼下さらば大丈夫間に合う。

5.便船関係

横浜-サイパン間は、月に4・5回、中にはロタ直航(別紙参照、図15)の便船あり。サイパン-ロタ間は40∼50 t 位の船が、2∼3日おきに出航致しおり10時間を要す。

1941年(昭和16)6月16日 山崎」

日本郵船南洋航路定期予定表(1941年7∼9月)

日本郵船南洋航路過重手荷物運賃表、東・西廻線船客運賃表(1941年5月17日改正)

(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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