秋吉利雄氏保存資料について
東京天文台本館は、1945年(昭和20)2月8日未明、原因不明(漏電?)の火災により焼失しました。これにより、本館に保管されていた貴重な資料や機材が失われました。
東北帝国大学は、1945年(昭和20)7月10日の仙台空襲(仙台市の2割が被害を受け、1300人以上が犠牲になった)により、キャンパスの4割が被害を受けました。理学部物理棟の研究室5室(上の写真左奥)も焼失しました。消火活動もされず焼け行く大学の様子を見て、松隈健彦教授は激怒したと伝えられています。
水路部は空襲を警戒し、本部のあった築地から各地に分室を設け疎開しました。作業力の維持や、海図・航海暦の保全が目的でした。秋吉利雄海軍少将は、水路部第二分室長として、岡山県笠岡市で終戦を迎えました。その際、自らの判断で資料の保全に努めました。しかし、他の分室は混乱を極め、書類や計算機までも焼却しました。
これらの歴史的な出来事を考えると、秋吉利雄氏が保存に尽力された資料がいかに大切なものであるかがよく分かります。
今後も、秋吉利雄氏に敬意を表しつつ、大切にその資料の公開に努めていきたいと思います。
(参考文献)
アーカイブ室新聞 (2009年12月16日 第258号) ,中桐正夫,国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室
日本の天文学の百年,日本天文学会の百年史編纂委員会,恒星社厚生閣,2008
聖マーガレット礼拝堂に祈りが途絶えた日,神野正美,潮書房光人社,2012
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