1941年中国大陸・台湾・石垣島皆既日食(17)

水路部・秋吉大佐のメモ(1941年6月17日、問い合わせ事項まとめ)

 1941年(昭和16)6月17日の水路部・秋吉大佐のメモです。ご不幸により帰省されていたため、懸案事項が溜まっていたのでしょう。皆既日食を控え、大学や研究機関と軍との繋がりがよく分かります。

「問い合わせ事項 十六ー六ー十七

1.支那方面艦隊より回答来たりや否や

2.学者の方急ぎ居るに付き 仮に許可ある場合を考え 適当なる便船あるやを問い合わすこと

7月下旬 呉 佐世保を出港するもの(8月10日頃迄には 簰(はい)州に到着 横須賀より

出ん船はなき模様とのことなるが真実なりや)

3.簰州の外に 電波物理研究会青野技師 漢口に行きたき旨申し出あり(別紙)

4.東京天文台の石垣島行照会書 水路部経由提出

5.ロタ行希望者 今日迄に判明せん者 次の如し出来れば艦船便乗の希望なり 

九大理学部 3,4名 九大農学部 2,3名 上海自然科学研究所 2,3名 

東北帝大理学部 1,2名 8月下旬ないし9月上旬到着 右 確定次第一括出願せしめたし

文部省電波研究会(海軍よりも航空三部長 技研電気部長 航空技術庁中島少将◯委員なり)青野雄一郎 漢口行希望 陸軍にも申し出したり 海軍にも便宜供与方申し出んとするに付いては いかにしたら宜しきや 直接?間接?

6.文書検閲」

(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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