1941年中国大陸・台湾・石垣島皆既日食(18)

電波物理研究会の観測計画

 1940年(昭和15)頃までの電離層及び電波伝播の研究は、海軍・陸軍・逓信省電気試験所の3カ所で行われていました。しかし、お互いの連絡が煩雑で統一を促進する必要が生じたため、文部省内に電波物理研究会が1941年(昭和16)に設けられました。1942年(昭和17)には、電波物理研究会は、電波物理研究所と名称が変更されました。

 「(枠外や赤の書き込み)陸軍に対する分は科学課経由にて出す事とし六月十一日科学課に提出 六月十八日軍務一カ 最も関係深き陸軍部局より交渉してもらうことと話すべし 青野技師と電Telす *興亜院の事業として永久施設となる見込み

 電波物理研究会日食観測計画案

一、研究目的

 昭和十六年九月二十一日の皆既日食時に於ける電離層異常現象及び電波伝播現象を漢口にて観測し 且つ本機会を利用し相当期間に 亘り同地の電離層の高度及び臨界周波数の連続観測を行わんとするものなり

二、計画内容

 電離層に関する研究に就いては 電離層自働記録装置を七月中旬発送し 八月中旬漢口到着後直に装置の組み立て調整に着手し八月末完了 九月一日より電離層の高度及び臨界周波数の連続観測を開始し 以て九月二十一日の皆既日食に及び 更に同観測を差し当たり昭和十七年三月三十一日迄継続す 但し主観測隊は十月下旬漢口を引き揚ぐる予定なるを以て 以後少数残留部隊に依り観測を行う。

 電離層の研究は 長期に亘る観測結果の平均が重要なるものにして 同平均と日食時の観測値とを比較するを必要とする為 天文等と異なり日食を中心として相当期間の観測を行うものなり

 電波伝播に関する研究に就いては 観測装置を同時に発送 九月十五日より十月五日迄適宜実験を行い 九月二十一日の皆既日食時の結果と比較す

三、編成

 東京部隊

  技師一 技手三 嘱託六(国際電気通信株式会社社員)

 上海部隊(上海より合流す)

  臨時委員一 同補助者一(上海自然科学研究所所員)

  計 十二名

四、行動

 第一班(電離層班) 技師一 技手二 嘱託三

 東京発 七月二十日 漢口着 八月五日 漢口発 十月二十五日 東京着 十一月十日

 第二班(電波伝播班) 嘱託三

 東京発 八月十五日 漢口着 九月一日 漢口発 十月五日 東京着 十月二十日

 但し

 一、十月二十五日以後は 技手一 嘱託二は残留す

 二、上海自然科学研究所所員二名は 第一班と上海に於いて合し漢口に向かう

五、場所

 漢口開式路二号

 日本租界の北方二千メートルにして 漢口陸軍特務部長官邸の裏に当たる

六、観測概要

 電離層観測に対しては自働記録装置を用いて 自働的に0.516メガサイクルより16メガサイクル迄の搬送電波により 100ワット前後の衝撃信号を発信し 同時に同箇所に於いて反射電波の受信迄の時間を観測して 電離層の高度及び臨界周波数を測定するものなり 但し衝撃信号の発進時間は約1/10000秒にして10秒置きに発進す しかして一つの衝撃信号より次の衝撃信号に移る迄には 搬送周波数は約170キロサイクルも推移し居るに依り 他の一般実用通信には絶対に妨害を及ぼさず

 電波伝播に関する実験に関しては 漢口より約1000キロメートル相隔つる同じ皆既日食地帯の台北国際電気通信株式会社送信所より10130メガサイクルに依り衝撃信号を送信し 漢口に於いて受信同電界強度を測定するものにして皆既日食時に於いて

 太陽の陰影の移動するに従い 受信電界強度の如何に変化するかに依り 電波の反射点を見極めんとす

七、輸送品(成るべく内地より漢口まで直通艦船便を願いたし)

 観測装置2台 総重量1500Kg

 1.電離層自働記録装置 重量1000Kg 大きさ2m×3m×1m

 2.電界強度測定器   重量  500Kg 大きさ2m×1m×1m

 トランク35個    総重量 700Kg 

           1個あたり       大きさ1.5m×1m×0.5m

 外に上海より漢口へ常用自動車1 寝台5を積み込む(合計約7~8トン)

八、輸送希望期日

 輸送品は八月十五日迄に漢口に到着するを希望す

九、警備

 陸軍特務部長の裏に当たる為 特に必要なきものと思惟(しゆい)す

十、其の他

 観測結果は極秘とし他の観測所の資料と合し綜合研究を行うものとし 綜合研究結果は陸海軍逓信省に送付す 他に発表する必要ある場合は 陸海逓信省委員の意見を徴し其の可否を決定するものとす

現地調査済 其の際 興亜院大家大佐とは諒解済

器械器具借用希望(海軍委員より世話する)

氷供与」

 1941年(昭和16)7月2日に、水路部の秋吉利雄大佐が作成したメモ。佐世保から漢口までにかかる日数等が書かれています。

「”黒い太陽”衝く電波 漢口「物理研究会」の観測陣 昭和16年9月7日

[漢口にて相島特派員6日発]日食観測隊東大班、京大班の準備状況を見学した記者は 漢口に戻り 6日朝同市開式路2號観測所に陣取る電波物理研究会班を訪問した 延坪150坪の家屋7室のうち2つがわが観測室に 他は観測隊15名の居室 寝室 食堂などにあてられている 観測用の各種電気機械類は 隊員到着以来20日間の努力によってほとんど取り附けを終り あとは機械の調整を行うところまで漕ぎつけている ここの観測隊は3班に分れ それぞれ異なった研究を行うことになっているが 電波分離研究会の靑野雄一郎技師ほか8名の靑野班は 自動記録の機構が簡単で優秀な点において日本最初のものと同班が自慢する電離層自動記録装置を使い 日食時における電離層の異常原則を観測する、 このため600mないし15mの電波を上空に向って垂直に放射し 電離層で反射されて帰って来る電波を順次測定する

 上海自然科学研究所員千田勘太郎氏ほか1名の千田班は 日食時における地磁気の変化 すなわち不断に南北を指している磁針が 電離層の影響によって地球表面に生ずる感応電流のためどの程度に狂うかその度合を測り この自動記録装置を設置するため 東西7m 南北2m二重壁の煉瓦造りの部屋が特に庭の一隅に新築された

 国際電気通信の宮憲一技師ほか2名の宮班は ここから950kmも離れた台北郊外中壢送信所からはるばる送られて来る短波の衝撃信號を受信して 日食気昇を通ってくる電波の変化を調 べ 電波の伝播機構を明らかにし もって実用通信の改良に資せようというのである これは世界最初の試みとしてその成果は大いに注目されている」


(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

(新聞記事は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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