南洋ロタ島事情(4)九州帝大伊藤教授の手紙と電報
1941年(昭和16)7月8日、九州帝国大学 伊藤徳之助教授から、水路部・秋吉利雄大佐宛の手紙です。
伊藤氏は千葉県出身。東京帝国大学卒。中央気象台技師を経て、九州帝国大学工学部(後理学部)物理学教室教授となりました。専攻は変形する物体の力学、地球物理学、応用数学等で、日本初の人工降雨実験を行ったことでも知られます。(九州大学付属図書館HPより)
「冠省 度々御手数を煩わし恐縮に存候 扨(さて)過日帰博の途中 汽車不通にて迂回暫くかかり帰福 早速御返電申上候次第に後折不発 文部省の事とて費用をこれより請求する次第 旅費不足にて立口御願い申上候 人員少々減員せねばならず 折状し寔(まこと)に申し兼ねし候えども 2名減ずる事とし 全員9名とりきめ申す なお過日の御電報により 人数のみ申上候えども 念の為め4日当地ツーリストビューローより東京に電話させん処(門司支店にては不扱次第) 横浜丸は既に満員との事とてやむをえず 又申込には人名も必要なりとの次第なれば取不敢 翌日出帆の近江丸に申込候か 昨夜の御電報に接し安堵仕候 従前当地のビューローへの申込は 早速とりけすべく候が 生憎本日は定休日にて候えば 明日とりやむべく候えど 郵船へは何卒東京よりの電話の結果 近江丸に定めし次第なれば 近江丸を取消し横浜丸に乗船できるよう御序御申添え下度候 人名乗船地はビューローより通知ありしものと存候が 別紙書添え申候 なお帰途の乗船は電話にては不扱 サイパンにて申込めとの事にて候が 帰りはとても定日に帰博するをかなわず候ば 何卒御配慮給わり度別紙認めおき候 来る17,18日頃上京御面談仕り度 又南洋興発の小野氏にも面接致度存居候 その節委細申しべく存候 何卒宜敷願上候 敬白 7月8日 伊藤徳之助 秋吉大佐殿」
この手紙にある別紙というのが、次の書類です。
九州帝国大学の伊藤教授から秋吉大佐宛の電報です。上の手紙にある返電がこれらだと思われます。
「電報 2913 電(報)見た 横浜1等2名 特三 1 門司特三 4 申し込みたし 御用船もよろし 伊藤 昭和16年7月4日」
「電報 1736 横浜特三1人増えた ツーリストに頼むが 宜しく願う 伊藤 昭和16年7月5日」
「電報2387 希望者2人殖え 全員11にて差し支えなきや 伊藤 昭和16年7月5日」
横浜丸と近江丸についての、乗船希望者数のメモです。秋吉大佐が作成したものと思われます。上の英文は、「upon the Error of Azimuth Observed with an Azimuth mirror」(方位角ミラーで観測された方位角の誤差について)です。
(引用)
故秋吉利雄氏保存資料
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