1941年中国大陸・台湾・石垣島皆既日食(36)

幻のロタ島日食遠征(2)上海自然科学研究所東中秀雄氏の悲しみの手紙

 1941年(昭和16)7月19日の日付の、上海自然科学研究所 東中秀雄氏の手紙です。ロタ行き中止について俄に信じがたい理由や心情が切々と綴られ、読んでいて切ない思いになりました。

 「拝啓 前略 御多忙中にも拘らず 種々御高配に与り 厚く御礼申し上げます 

ロタ行きの泰安丸(8月17日横浜発) 神戸郵船より一等はないが三等を4人分とっておきたる旨入電有らん この方は安堵して居りました所 貴下より「ミタ ユケヌ ホカニカエラレタシ」との電報を拝受 電報局の「ミ」と「ロ」の誤りではなきやと問い合わせた所 初めは「ロ」としたが「ミ」に訂正したもので間違いなき由にて それでは便船の都合によるものと解し 日夜ロタ行きの準備をすすめて居りますが 或いは他に特別な理由があって 旅行不許可ということになったのかとも思われ 心配致して居りますが 又 日食観測隊全体に」

「ロタ行き不許可となったものかもと考えられ 何かと案じて居ります ただこの様なことは杞憂として とにかく便船は往復共御尽力により 予約し得たのでありますから 只今は初志通りに事を運んで居ります この点に就て 何か承知しなければならぬ事柄がございましたら 御一報願い上げます

旅日に就て定めておる事を一括しますと

1.荷物の大部(貴重品は別)は7月31日

 上海出帆の新田丸にて発送 ロタまで送る

1.一行は4名 小生の外に助手3名 その氏名は

 小寺昌介(上海自然科学研究所)

 西村繁次郎(京都在住人)」

「浅海英三(京都帝国大学学生)

 内 東中、小寺の2名は 8月6日上海出帆の太洋丸にて9日神戸着 3,4日京都滞在の上 貴部訪問 西村、浅海の両名は 京都より大体東中と行動を共にし 一行4名 8月17日泰安丸にて横浜発 精密器械は一行が携行することとす

1.海軍大臣宛出願手続きは如何にしたら宜しきや

1.一行の食糧など用意する必要がありますでしょうか

 食糧その他の都合で(便船以外の) 貴宛通り一行を3名とする方が宜しければ」

「1名をとりやめ 一行3名としてもいいとも思いますが この点いかがでしょうか

1.右の他 当方にて承知して置かねばならぬ事柄や 貴下に御通知申し上げねばならぬ事柄がございましたら その由御知らせ御願いします。

連絡がとかく遅れ勝ちとなり 御迷惑この上もなきことと恐縮致して居ります 近来 研究所の事務上の手続きが 極僅かなことでも煩瑣(はんさ)な型式を取らねばならず 何かと時間がとられるのでありまして 貴下のご好意には十分に感謝」」

「しながら 礼をつくし得なかったことを 深くお詫び申し上げます

右取り急ぎ ご連絡申し上げます

7月19日

東中秀雄

秋吉大佐殿侍史」

(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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