ロソップ島民の思出(2)
酒禁煙は勿論のこと万事に注意して使うから、島民諸君は礼拝に不便ではあろうが我らの意を了として礼拝に怠りなからん事を請い、かつ島民の信仰を護る為に観測隊側と島民側とを互に気を付けることを約した。丁度その晩教会裏手の海岸の方に当たって島民の多数の合唱が聞こえて来た。余り永く続くので何事かと思って行って見ると、用のない観測隊の或る一団が、麦酒の酔後の余興に、島民を周囲に座らせて歌わせていたものであった。歌は讃美歌であると言う。(讃美歌は我々の普通使わない難しい曲を常に歌った)島民は酒類を飲むことも又彼らに飲ませることも南洋庁の法令で禁ぜられていることを考えると、この情景は如何にも誘惑的に見えたので、この歓楽を早目に切り上げて貰ふよう穏やかに勧め、一方ルーベル君に語って神を讃美する聖歌を以って人の酒宴の興を添えることは適当でない事を忠告した。同君は非常に恐縮したが、実はここの島民には俚謡(りよう)も俗歌もなく、讃美歌より外に歌を知らぬと聞かされ、却って私の方が驚いたのであった。ずっと後のことであるが、紀元節の晩に提灯行列を行った時、島民の子供も老人も賑やかに愉快な歌を歌いつつ島の廻りをまわった。その歌はルーベル君即興の作になる親子丼とかラムネとか日本語の食物の名を繋ぎ合わせた甚だ朗らかなものであつたが、讃美歌に代わる歌を作って島民に教えねばならなかつたルーベル君の苦心を誰か知ろう。
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ロソップ島は天然の公園であり楽土である。下は純白な砂地上は滴る緑、犬の仔も豚の仔も雛も人間を恐れない。遊び飽きた子供は海に浸って戯れる。水は清澄、絶えず洗われて淀がない。朝には瑠璃紺碧の波間を出ずる荘厳な太陽をみまもり、タは南方星座を仰いで神秘の空と語る。
幾夜か真夜中に起きて、椰子の葉がくれに「サウザンクロス」を仰いだ心の静けさを今も懐かしむ。島民は何を食わんと思い煩う要はない、食物は天然の果樹で事足りる。衣の事に心配は要らない、年中裸でも過ごせるのである。(もっとも裸のものは殆んどいなかつた)380名の島民は一大家族であり、同一教会の神の子供達である。彼らはトラック支庁の管轄下に自治制を布き村長は日本観光にも来たことがあるといふ70歳の老人。教養ある観測隊の人達の斉しく感じたことは、文明人がこの純朴天真なる民を惑わす如きことがありはせぬか、学間のとはいひながら我らの滞在によって不知不識の間に彼らに虚栄を教え、欲や争いを起こさせることは罪深いことだということであつた。私も亦一個の基督教徒として同感至極であった。
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朝6時半(日曜は10時)夕5時半になると島民は臨時の教会堂たる集会所に集まって礼拝をする。集会所はタコの葉で屋根を葺いた小屋で壁はない。教会堂から外して持って来た教檀を一方に置き、会衆は土間に小さなアンペラを持参してすわる。会師はルーベル君。外に1,2名の年寄が椅子に腰掛ける。その使用する島語の讃美歌や新約聖書はローマ字、活版刷で、久しく南洋の伝道に従事した米国人ローガン氏が1870年頃翻訳したもの、讃美歌はそれを尚一度、南洋伝道団の、今の同地方の牧師山口氏が改訳されたものである。旧約聖書は使っておらない。島民は同じカナカ族の中でも文化の程度は最も低いと思われる点が色々あるが、彼らは固有の楽器というものを何1つ有しない。その代わりには素晴しい声量と、上手に歌うことに恵まれており、礼拝の讃美歌は堂々たる4部合唱である、何ら楽器も使わず口から口へと教え込むルーベル君の指導の非凡さもさることながら、島民の声楽的才能の優れている点は、文明人の大教会の合唱隊に聞かせたいと思う程であった。
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寝不足の毎朝を私は礼拝の鐘の音に眼を覚まされた。いかに眠くとも、寝ていて聖歌を聞くことは良心が許さない。が起きてみても、団体として朝を守る何らの日課もない、夕方もそうである。島民に対して何となく恥ずかしいような感じがしたのでせめてはその時間を汚すまいと、春日から派遣の下士官兵諸君を主体として朝は体操、夕は軍歌行進を行った。全く之は島民の礼拝から誘発された消極的な心身の緊張であって、その間に島民はもっと崇高な行事を勤めているのであった。島民は尚よく我らの来意を了解せず、中には恐怖心を抱いている者もあると聞いて、1月28日の日曜に全島民と観測隊一同と相集まって挨拶の交換が行われた。子供達は嬉々として若い学者の腕に抱かれた。子供の讃美歌集を覗き込んで、曲に覚えのある歌を歌ってみればローマ字だけにどうにか歌える、それを子供が訂正する、という風に打ち解けた集まりであつた。昼食には村長やルーベル君も招待された。その日の午後は観測隊に取って重要な予定があった。というのは乾燥期というこの季節に生憎今年は雨ばかりでコンクリート基礎工事が一向進捗しない、珍しく晴天となったのを幸い、大に馬力を掛けて是非その日の内に仕事の区切りをつけねばならぬ。島民の使役は私からルーベル君を通じて頼むことになっていたから、同君に、安息日ではあるけれどもこういう訳で今日この仕事が片付かないで明日雨ともならば恐らく観測日迄に準備が出来上るまい、是非人手を出して貰いたいと懇請したが、結局断わられるに至った。「私(ルーベル)や数人の者はお仰せの筋がよくわかる、しかし大多数の者は安息日に働かねばならぬという理解が付くまいし、理由さえ立てば働いても宜しいという考えが一度頭に入れば今迄の宗教習慣を根底から破壊することになる、どうか許してくれ」となかなか聞いてくれない。残る方法としては命令による強制があるが、彼らの良俗は破りたくない。遂に相談の結果学者達も彼らの単純なる信仰を了とし、島民に代わって、出来るだけのことを果たそうと自ら汗して杭を打ち鶴嘴をふるい、夜に至つたが予期の進捗は見られなかった。
筆者はその夜自ら深く省みた。島民の信仰を尊重し良俗を保護するが為に公務に支障なかるべきや、寧ろ威圧を用いても強行せしむべきではなかったかと。願わくば明日1日尚晴天であれかしと祈ったが、幸いにして翌日も雨降らず、仕事は差障なく進行し、心より感謝して安心したことであった。
安息日問題に懲りた観測隊は、雨後日曜は一切島民を使役せぬことにして計画を立て、進んで日曜午後は休養とされた場合もあった。
島民はかくのごとく安息日を守る、労働はもとより遊戯をもしない。紀元節奉祝のカヌー競漕の企てのごときも当日は日曜なればとて、前日に繰り上げて行われた。婦人は安息日には食事をも作らぬ慣わしで土曜の午後は翌日分のパン(パンの果から作る)製造に共同焚火(たきび)の炉辺が賑わう。
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私はルーベル君から日曜に1度教会で話をしてくれと頼まれていたが、折がなく旁々(かたがた)紀元節の朝の礼拝に紀元節に関する解説を主眼とし、「神を畏れ王を尊べ」と題しルーベル君の通訳で話をした。村長はじめ純朴なる島民会衆は静粛に聴いてくれた。
この島を極楽というは誰か、島民には島民の十字架なしとするか。敬虔に神の御前にひれ伏す彼らは、自分らと等しく罪と悩みをもつであろう、しかし又共に主の救を知る点に於いて全世界を得るにも優る幸福を味わう同胞である。単純な信仰をもつ彼らの前に教理を言々する資格も必要もない、教派の異同をあげつらう事も要らぬ、神の教会は広く深い。私は檀上でこの感を深くした。
続いて観測隊も島民も全員広場に集まって厳粛に紀元節の遥拝式が行われた。今や世界の天文学界の視聴をこの一孤島に集めているかのごとく、学術的にも光栄ある位置に立ったわが帝国の前途に心よりなる祝福を祈った。全員斉唱した「雲に聳ゆる」の祝歌は僅に2日前に音譜と歌詞をルーベル君に示して島民に教えて貰ったものである。昼食には祝宴が催され村長やルーベル君達も招待され、全島民には大鍋幾つかの汁粉が饗せられた。
紀元節奉祝のボート(カヌー)レースが繰り上げられて前日行われたことは前に述べたが、それはピース島民とロソップ島民との競漕で12人乗、8人乗等のカヌー数隻のレースであった。カヌーにはそれぞれ名前が付けてある。その内面白い名を若干挙げると、
(旧字体は新字体に、送り仮名は現代的な形に、漢数字は算用数字に直しています。)
(引用)
基督教教育第三年八月號,通巻27號,1934
故秋吉利雄氏保存資料
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