ロソップ島日食観測行(3)
1月29日(月)曇のち雨 窪川一雄
ローソップ島に着いてからはや6日目。ようやく荷物の整理は終わって、いよいよ今日から機械の工事に着手する。まず土台の基礎工事を始め、島人を指揮して杭打ちをする。早朝よかった天気は昼近くから曇りだし、午後はついに雨となる。 中野氏は無線のアンテナを張り、藤田、服部氏は倉庫天幕内で荷物を解いた。午後は島人と共に倉庫天幕内でいろいろ手ぶり足ぶりを用いて話をする。だんだんローソップ語のボキャブラリーが豊富になった。島人の美しいメロディーの讃美歌を聞いて大いに愉快になる。午後4時過ぎ瑞鳳丸トラックより帰り来たり。注文した箸、絵ハガキ等を受け取る。夜は早速絵ハガキに筆を当てて故郷の人々に文する人が多い。
1月31日(水)一日中快晴 藤田良男
僕の器械の大体のセッティングは終わった。僕の器械は赤道儀式で極軸に直角な軸があってその両側にプリズムスペクトログラフとグレーティングスペクトログラフとを取り付けた。この器械の外側には9尺四方位の大きさの簡単な小屋を作りテントをかけて雨をよける事とした。 今日は小屋のまわりにむしろを貼り付け横なぎに降る場合の雨のプロテクションと風のために砂が飛び込んで器械のメインパートにくっつくの
を避けることとする。とにかく格好だけは出来上がった。島民の椰子の葉よりなる棲家と比べていかが。今後半月ばかりこのささやかな家にへばりついているのだと思えば感慨一入である。 窪川氏の長い家もほとんど出来上がって、今日はその屋根にむしろを貼るのに余念がない。約12mの焦点距離のコロナグラフの丸い筒が寝ているのだから、それに雨がかからないようにしておくためには却々大変だ。島民を督励して屋根にむしろを貼らしている窪川氏の姿にはむしろ悲壮なものがあった。
一方目を転ずればその長い小屋の東南に相接して服部氏の小屋掛けあり。ここはフラッシュスペクトル撮影所だ。今日は大きい時計装置のセットに余念がない。これは今度持ってきた時計装置の中で1番大きくて1番重いのだ。荷造りを解いて箱から出してここまで持ってくるのに島民たちはいと流暢なサパンカバシで「オモイナア」と嘆いていたっけ。
「労働は神聖なり」併し暑い!口中ねばねばして少し働くともう水分が欲しくなる。昼食に出されたアイスクリームのうまかったこと。口に入れる途端に茶碗の中の容積が減っていくのは当然のことながら悲しく感ぜられる。もう1杯欲しいと思ったのは僕1人ではなかったであろう。 勇敢な御仁は2度請求に行ったようだった。
午後5時過ぎ仕事を終えて海に入る。福見先生、服部氏と3人で。水温が体に程よくコレス
ポンドしていてとても気持ちがいい。水平線に近い太陽はキラキラ水面に照り映えている。冬の海水浴もまた格別だなあと思った。水の中から海岸を眺めると東京天文台の観測テント東大のテントとズラリと並んでいて一寸壮観だ。
夕食をとり風呂を使用(入ると言う言葉を使えないのは残念である)した後は1日の疲れもほとんど癒えてまた明日に処する新しい希望が燃えてくる。
田中先生のテントにお邪魔して先生から緑茶のご馳走になった。おいしいので3杯ほどいただく。テントから自分の寝所たる教会に戻って床に就いたがなかなか眠れない。緑茶のせいかしら。リーフの音が耳をつく。
島民たちの無邪気な姿、讃美歌のコーラス等、島に着いての1週間の間に心に触れたすべてのことがはっきり思い出される。明日に大きい希望をもって、1月よ!さようなら‼︎
2月1日 雨 服部忠彦
今日は洋食の日である。と思うといつも寝坊については人後に落ちる小生も極めて——といっても知れたもんだが——早く起きる。コーヒーとオートミールとハムエッグスが食べたいからだ。と言ったとてお笑い召さるな。決して食いしん坊なわけではござんせん。いつも寝坊しては冷めかかった量の少ない味噌汁を遠慮しいしい食べるよりはこの朝飯の方がより多く食欲をそそるからである。いかにも毎日食い残しの味噌汁ばかり食わされているようだが、これは決して誰の罪でもないんで、ただ一重に小生の寝坊にその責任はかかるのだが、小生日本人に生まれながら他の方々のように 朝はどうしても味噌汁に限ると言うのではないので、むしろあまり好まぬ方なのでどうしても寝ている方が良くなってしまう。前にも三鷹の天文台である場所で食事の御難かあった時、味噌汁なんかひと月でもふた月でも吸わなくてもいいではないかと言って怒られたことがある。閑話休題、首尾よくオートミールにハムエッグスを食べ食べおほせてさてと。今日は2月1日である。といってもエイプリルフールにはまだ2カ月早いからご心配なく。残すところ2週間だ。1日違っても1月31日と2月1日とはだいぶ感じが違う。なんだか妙に気が焦るが夜来の雨降り
続きなんとも致し方ない。コンクリート工事にかかるのでこれならば雨が降ってもできるだろうと島民に砂運びをさせる。トラック島に行った瑞鳳丸もなしのつぶてで昨夜着くはずが着かず。今朝は着くかと思うと未だに来らず。併しこの荒海をあの船で乗り切るのだから無理もないと思うけれどもなんだか頼りない。
10時ごろ一寸雨が止み仕事が捗りそうに思われたが、11時ごろからまた降り出す。それでも少しずつは仕事も進みコロナグラフの土台や小屋の一部出来、赤道儀式のスペクトロスコープも出来る。
午後も相変わらず小雨で少々腐ったが、暑くないので仕事は楽である。暑いとそれサイ
ダーを持って貰って来いと攻め立てるガキどもが(いやこれは失礼)今日はウンともツンとも言わ ずに仕事に精が出る。買い置きのパイナップルの缶詰を開けてごまかされる。午後待望の瑞鳳丸がやっと着いた。船が着くと途端にご馳走があるので一同両手を挙げて大喜び、さても現金なものだ。
雨が止んでいるので仕事が終わってから、ちゃんと内地から用意していった海水着に着替えてひと泳ぎする。ひと泳ぎといっても天文台の前の海では背のたたないところに行くのには余程骨が折れる。あまり天幕が小さく見えるような沖に出ると、なんだかフカでも出てきそうで怖いので結局膝とある部分の中間位の深さのところでぽちゃぽちゃと水泳の一年生のようなことをやっているに過ぎない。水は暖かくて澄んでいる。海から眺めた島の景色もまた素敵である。ぽっかりと仰向けに浮いて空を見つめていると、どこにいるか分から
なくなってなんだか沖の方にでも流されてきたような気がして慌てて立ってみると膝までしかない。静かな海に大きな波紋を残して すいすいと泳いでみたり、白泡立ててクロールの真似事をやったり、或いは海底の砂地に尻をおろして風呂代わりに体をゴシゴシこすりながら四方山の話に興じたり。2月の海水浴も小生一代史に特筆されて然るべきものであろう。
夕食の席で伊藤少佐に久しぶりにお目にかかる。相当にスゴイおヒゲだ。我らが代表選手中野氏のおヒゲも相当なもんだがいずれも兄たり難く弟たり難い。中野氏の同志を得て嬉しかったらしく、また伊藤少佐も同じ思いと見えて互いに固い握手を交わしてヒゲ同盟が成立したらしい。ヒゲこそ男の専売特許だ。 吾輩はここにヒゲ同盟の成立を祝し将来ますますヒゲすることなく勇敢に進まれんことを希望するものである。
軍艦で怒られた可哀想な蓄音機も、この島ではまず誰に遠慮することもなく全能力を発揮して、ちとどうかと思われるランデブーだの泣いちゃいけないなどという名歌曲が繰り返し繰り返し行われる。今日も夕食後天幕に集まってハワイアンギターの音を聞きながら椰子を眺めては感じを出し、あるいはセンチなジャズソングをかけては故国の赤青のネオンサインを偲ぶ。
(引用)
故秋吉利雄氏保存資料
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