ローソップ島皆既日食(29)

ロソップ島日食観測行(4)

2月5日(月)晴時々曇 窪川一雄

 ここ3 、4日は天候が定まったので仕事も一同に進行した。今日は暗室の設備を整える。暑い上に小さな部屋に入ってコツコツと墨を塗るのだから汗は容赦なく流れて目にしみて閉口する。昼食にデンキミカンをいただいたが、どうも熱帯の果物は水気ばかりで甘みが少しもないようである。あるいはちょうど雨が多い時だからかもしれないが。どうしてもおいしいとは思えない。風呂がないというので海に入って汗を流すつもりで飛び込んでボチャボチャやったのはよいが、塩分が強いのでかえって身がネバネバして困ってしまった。貴重な水をもらって身をふいて漸くサッパリする。

2月12日(月) 藤田良雄

 日はいよいよ近づくし天気は悪いし毎日悲観の極みであったが、今日はどうやら天候回復に向かう。不安の内にも皆の心には喜びの思いが満ちてくる。早速テントに出かけて大急ぎでテストに取りかかった。時々雲間に隠れる太陽に舌打ちしながら時計仕掛けを調べたり、乾板を入れる取枠を出してみたりした。驚いたことには湿っていたのが急に太陽の直射を受けたため取枠が狂ってしまってカメラにうまく入らない。木製の部分を少し削ったりしてようやく入れることが出来た。何といっても後1日しかないので落ち着けず時々失敗をしでかす。

 午後4時ごろ記者諸君が大挙してテント村を襲撃?。日食当日のポーズよろしくあって東京班の各観測器械を観測員が使っている有り様を写真そして活動に撮った。ファインダーで太陽を覗いている格好をしてくれとのことで、おかしさもこれが活動になるのかと思えばどうやら抑えることができた。窪川さんはいろいろポーズをとらされて骨折りだったらしい。天文学者がひとかどの俳優然としておられるのはこんな時だけだろう。

 夕方宿舎に帰ると入り口の黒板に天気図が貼り付けられてあった。南洋庁の好意によるのだ。観測者達不安そうな面持ちで覗いている。なんだか日食当日が近づいた慌ただしい感じがする情景だ。

 夜田中先生のポラリスコープがよく星をフォローしないとかで、福見先生と一緒にテント中でお手伝いする。別にたいして悪くないようだったし雲が出てきたので12時半ごろ切り上げて寝についた。

2月13日(火)晴時々曇 服部忠彦

 日食もいよいよ明日に迫り各自予行演習に余念なし。久しぶりの好天気にて一同気をよくす。この分ならば明日も大丈夫らしい。我らの帰りを待つ平栄丸は、今日すでにローソップ島の西方の沖に投錨している。大騒ぎした日食も明日1日の運である。えーままよと投げ出したくなるが、いやいや念には念を入れと思い返して何度となくミラーをいじり、望遠鏡を調整する。宿泊所たる教会堂の前に明日の天気予報が出ている。それによれば明日は快晴スコール来たるも昼過ぎてからの見込みと、この天気予報が当たったら 万々歳だ。パラオ観測所の川崎さん大いに男をあげるところだが、一朝曇らんか相当に非難の声も出て来るだろう。このところ我々同様明日は是非とも天気なれかしと祈っているに違いない。今まで天気が悪かったので、晴れてみると色々な仕事が滞っていて忙しい。午後にスコールが1回あったが夜もまた非常な好天気。今日は台長のご希望によって終夜電灯がついている。10時11時になっても教会に帰って寝ようという人はいない。京都班の人々は今日はレオール泊まりに決めたらしく、明日の幸運を祈ると互いに挨拶を交わして別れる。とっておきの乾板をいよいよ取枠に入れて明日間違わぬように用意をする。暗室の中はムッとして顔中から玉のような汗がポタリポタリと落ちる。せっかくの看板の上に汗でも落としたら大変だと注意しながら取枠に入れる。数十枚の乾板を入れる窪川さんは大わらわになって、猿股に腰巻1つというどこかの人々にはあまり見せたくないいでたち、その腹巻たるや出発の際には襟巻きだったと言う代物だからなおさらのこと。今日あまり頑張って明日大事の時にフラフラしては困るので少し寝ようと天幕内のベッドに潜り込む。なかなか寝付かれない。外ではまだ皆忙しく立ち働いている。もう時間は2時過ぎだろう。明日は6時に起きようと、6時6時と念じつついつか寝に入る。

2月16日(金) 曇のち晴 窪川一雄

 日食後ピース島に遊んでズブ濡れになったのが原因して風邪をひき、昨日は我慢して荷造りしたが、今日はとうとう半日寝てしまった。でも竹田君が呼びに来たので、午後は出かけて荷造りの指揮をする。昨日すでに大部分の荷造りをしたので、今日は細々としたものをパッキングする。東京天文台全体で39個の荷物を平栄丸に積み込む。20余日親しんだ東天サーカスの海岸も段々に寂しくなって、元のままの椰子の砂地にかえっていく。なんだか寂しい様な気もする。隼丸は出発して、新聞班の林・金行両氏は観測隊に一歩先んじてローソップ島を去った。

2月18日(日)快晴 藤田良雄

 今日は日曜なので島民は雇えない。僕達だけで徐ろに働く。 中野氏の荷物の後始末だ。張り詰めた後のせいかなんだか気分がのんびりする。正午までに大体片付いた。島民のヌーデル君にシャツと青色のネクタイをやったらとても喜んでいた。この人はおとなしくて正直な人らしい。ピース島から来たヌーデルくんの兄さんとか言う人とヌーデル君との写真を撮る。ヌーデル君から南十字星のローソップカバシを聞く。ウェネウェンと呼ぶのだそうだ。

夜になってから海岸のテント中に行けば、島民連良い鴨を見つけたと言わんばかりにたくさんのメイド・イン・ローソップ物を持って登場。

 真っ先に持って来た槍にはちょっと驚いた。長さ2間ばかり彼らの胸にはその昔彼らの先祖が鎬を削った生々しい血の記録が残っていることであろう。この長々しいそして危険な武器をいかにして持ち帰る日には、窪川氏大分困却の様子であったが、とうとう買うことに決心。槍を先駆けとして縷縷運び込まれる品物は、カヌーの櫂、例によって椰子の煙草盆、湯のみ、カヌーの模型等々、新しいものは腰蓑である。赤や青の色に染められた島民の芸術品だ。4個ほど売れた。僕も1つだけ買うことにする。この貿易中、蓄音機が絶えず演奏され島民は「ムリンナチクオンキ」と言って喜ぶことを喜ぶこと。中には「ガクタイガクタイ」と言ってしきりに僕たちにやってくれる様頼む者まで出来る始末である。小さいテントはすっかり興奮した雰囲気に包まれてしまった。人いきれの中で少々息苦しくなった僕は、教会の方へ戻っていく。教会近くの島民集会所からは灯が漏れ歌声が流れる。そっと近づいて見ればルーべルさんを真ん中にして、若い島民が十数名讃美歌の練習中だ。皆何かしら幸福そのものの様な顔をして歌っているのだ。ランプの前には黒板が立て掛けられ、譜と日本語の歌詞とが書いてあった。「学びの窓・・・・」云々。島民たちにいつまでも平和な生活が続く様にと念じながら、僕はこの美しいアトモスフェアから離れて教会の自分のベッドに潜り込んだ。

(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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