伊達英太郎氏の太陽観測(3)

「科学少年」「銀河」における、太陽黒点観測報告等

 今回の太陽黒点報告は、1929年(昭和4)4・5月分、1929年(昭和4)6月分(11cm反射、40倍投影、115倍直視)、1929年(昭和4)7・8月分です。1929年(昭和4)9月に、伊達英太郎氏が、天文同好会太陽観測部に入部したことが書かれています。

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

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  • double_cluster

    2024.06.10 08:39

    コメントをいつもありがとうございます。伊達氏の冊子を見ていると、「南炭」(手元には有りませんが)の頃は学校や近所の仲間、「科学少年」「銀河」になると同年代の同好者、「THE MILKY WAY」になると日本全国のアマチュア天文家へと範囲が広がっていっているように思います。まあとにかく、伊達氏の行動力には目を見張りますね。ところで、Seestarで撮影すると、写真でないと見えない世界があるなと感じます。特に星雲は、本当に美しく、宇宙を感じます。
  • manami.sh

    2024.06.09 14:54

    黒点観測部の資料をみると、田中、藤本、丹後、花田氏の観測部員がいますが、この方達が その後どうなったのか、考えてしまいました。「天界」や「天文月報」にも載っていない ように思えます。観測機器も五藤光学のものだったり、エミールブッシュはより高額だった と思いますが、天体観測に魅せられていた方々なのでしょうねぇ。 SeeStar、好調ですねぇ。球状星団も、こうしてみると様々ですねぇ。