伊達英太郎氏の太陽観測(6)

プロミネンス観測(2)

 伊達英太郎氏がプロミネンス観測に用いた7.6cm屈折鏡筒は、1944年(昭和19)頃には経緯台として太陽観測に用いられたようです。11.5cm無メッキ反射用赤道儀では、長焦点の鏡筒は使い難かったのでしょう。

 伊達氏より先に太陽紅焔観測をした、中村要氏の文章をご紹介します。

(引用)

太陽紅焔の観測,中村要,天界5(50):65-68,天文同行会,1925-02-25

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2024.06.25 12:07

    コメントをありがとうございます。萑部から佐々部に改名されていたんですね。どう思われてのご改名なんでしょう。やはり、霞を食うような天文趣味は、平和な時でないと成り立たないものなのでしょうね。萑部姓の頃から、奥様の方が天文にご熱心だったようですよ。
  • manami.sh

    2024.06.25 01:00

    戦時中ということもあり、「鉄」の供出が頭を過ります。 以前、取り上げられていた佐々部進氏の六甲星見臺にしても、もしかしてと、思ったりします。 佐々部氏は戦後、佐々部に改姓し、戦後の海運業界で活躍されていますが、天文からは離れて しまっていたのでしょうねぇ。