昭和9年南洋ロソツプ島に於ける日食観測に派遣せられし顛末(9)
(4)属官1名を前記及後期に派遣し設備の引継及幹事部会計事務援助
81 瑞鳳丸の供用
(1)瑞鳳丸は1月15日午前8時パラオ発、17日より荒天逆風逆浪となり速力を低下し排水に
努め乍ら難航を続け、22日午前10時トラツク着、生糧品、清水搭載、監督員乗船即日
午後5時発、23日朝ロソツプ着陸上状況視察及航路標識設置を了し、夕刻環礁外に出で
同夜春日と会合、パラオ、トラツク間航程度1150浬、平均実速68節(原速力10節)
(2)24日荷物運搬、65項掲出の通。斯くしてパラオ出港以来10日間不眠不休の活動を続け
たり。
(3)爾後ロソツプ、トラツク島を4往復して交通連絡、不足品の購買、生糧品運搬、淡水補
給に任じたるが毎航海荒天にして、帰途はトラツク環礁の外迄出でしも航行不能の為
引返し波静まる迄1,2日間待つを常とせり。
(4)最後に人員を収容してロソツプを撤退しトラツクに引揚げ、後パラオに碇投す。
82 氷、生糧品、淡水の給与
氷は瑞鳳丸にてパラオより8屯(交渉5屯、予備3屯、実際使用約3屯)を冷蔵庫(-5℃)
内に格納運搬し来り、小出しに供給。肉類(豚、鶏)約70貫(350円)、野菜約100貫、
以上南洋庁経費を以てトラツク支庁より瑞鳳丸に託し給与 (氷共予算500円)野菜は瑞
鳳丸入港の度毎夏島及離島より採集し、而かも其の量多き為一時トラツク全島住民自体
の野菜欠乏したるも之を忍びたりという。
83 平栄丸命令航路の変更及帰途の運賃負担。(往路の運賃は文部省持と決す)
84 トラツク郵便局よりの援助
技研研究所の実験はトラツクに於て発信(40項)せり。此の作業の為技研員2名、下士
官兵3(114項)トラツク郵便局無線電信所の一宿を借受けて居住並に執務し各種の便宜
を得たり。又軍用通信に関しても直接間接に電信所の援助を受けたること多大なり。
85 其の他トラツク支庁に於て些細なる点に至る迄積極的の援助と厚意を与えられたり。又2
月21日は夏島に於て観測隊の為に園遊会を設け傭人に至る迄招待を受けた
り。
8 観測隊の内務
86 観測隊を班に分ち、東京班(東天、東大)、京都班(京大、上海)、電波班(技研、逓
信)米国班、記者班、春日班(下士官兵)及附属班(傭人)とす。
87 観測隊に幹事部を置き(31項)秋吉幹事の下に大野文部属及島民ルーベルを幹事補佐に
配す。隊の統制及対外交渉島民傭人其の他の庶務は幹事部に於て行い、協議事項は各班に
代表者を立て之と協議せり。
88 春日班は秋吉中佐直接之を指揮し、又附属班は幹事直属として指揮系統を明にせり。
89 幹事部に於て供用せし舟艇は港務部天馬船1、水路部天馬船2(58項)、トラツク支庁橈
艇1(ジンギー)、瑞鳳丸碇泊中は同船内火艇1、「カッター」1。又水路部より借用せし
物品は殆んど全部之を供用して過不足なく、各班に大なる便
(引用)
故秋吉利雄氏保存資料
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