ロサップ島皆既日食(57)

昭和9年南洋ロソツプ島に於ける日食観測に派遣せられし顛末(12)

       同道)東京に於ては海軍次官に(1名は水路部長にも)謝意を述べ、地方見学の後ジョン

       ソンは3月15日、コーンは3月20日横濱発汽船にて出発帰国せり。

 11 新聞記者団の状況

109 通信を任務とする記者団は春日便乗中通信の自由なく、ロソツプに於ても軍用電信は使

       用するを許されず、辛うじて瑞鳳丸の無電を利用する外に法なかりしに、之とても同船ロ

       ソツプ碇泊中のみに限られ、而かも能力低き船舶局のことなれば簡単なる記事にても之

       を他社に先んじて送らんとせば、激烈なる競争の生ずるは勢止むを得ざる所なることは

       素より諒とするも、聊(いささ)か 度を超えたるを遺憾とす。

110 1月25日彼等の内6名は瑞鳳丸にてトラツクに渡り更に平栄丸にて離島巡りをなし、4名は

      2月1日、他の2名は9日ロソツプに帰着す。

111 彼等は日を経るに従い漸次無遠慮、時に粗暴となり自尊心を高め調和性を失えり。尤も7

      名中には教養ありて物の判る者も居たれど一、二の者は教養なく寧ろ狂暴にして、社会的

      位置を誇りては却て其の低劣なるを見わし、全体を引摺りて其の水準

       を低下せしめたり

112 記者団相互間の内争熾烈にして時に刀傷沙汰にすら及ばんとせしこともあり。遂に7名中

      の2名は帰途の同行を断り2月16日便船を以てトラツクに先発、商船にて群島を巡遊し、

      一行に遅れて内地に帰還せり。

113 記者団の言動にして周囲の平和を紊(みだ)したる事例数多ありと雖(いえども)一々之

      を摘挙せず。

12 「春日班」の状況

114 団体生活の訓練経験なき観測隊の各班の間に伍して軍隊の特異性を顕彰せしものは実に春

      日より派遣せられたる臨時定員下士官15名なり。(内3名はトラツクに派し、瑞鳳丸は無

      電不具合に由り中途より装備を徹したる為ロソツプに起居せしは12名の所謂「春日班」な

      り)(39,67,84項)

115 春日班は横須賀海兵団より補充せられたる掌電信員及機関員の混成にして規律正しく一致

       団結し労苦を厭わず欣然作業に当りしも一面海軍軍人たる見識と矜持とを失

       わず。会々観測隊員にして彼等に対し軍人たる職分に関し理解を欠きたる言動をなせし

       場合2,3ありたるも堂々其の態度を守りて却て一般の尊敬を得たる如きは推賞に値するも

       のなり。

116 軍需部及春日よりの貸与兵器及需品の保管には下士官2名を指定して之に当らしめたり。

13 「附属班」の状況

117 房州布良村より選抜せられ一行に加わりたる南洋庁傭人船夫7名は皆水路部測量班に附属

      して南洋方面の測量を助けたる経歴(多きは18回少きも3回)を有する者のみにして、水

      路部より借用の物品の取扱、荷造等にも慣れ南洋事情には精通し、実に本作業に欠くべか

      らざる重要なる役目を課せられたり。

118 日本食は材料仕入より調理迄一切彼等に委せたり。

119 水路部備品及材料の保管出納等悉く彼等に委せて過誤なかりき。

120 短艇の舟繰り及操作は幹事部の重要なる事務なりしも観測隊に海上の経験少く

(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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