ロサップ島皆既日食(60)

昭和9年南洋ロソツプ島に於ける日食観測に派遣せられし顛末(15)附表・附録(終)

(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

3コメント

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  • tos********

    2025.07.09 11:28

    こんにちは。宮原節の略歴をお送りします。 昭和20年の原爆により(私の)祖母や叔母が亡くなりますが、親族や財産の多くが広島の中心部にあった宮原家は大きな痛手を負い、戦後は厳しい状況が続いたようです。 そのようなこともあってか、原爆を生きのび岡山に戻った節の子供は節のことを含め戦前のことについては、多くを語らなかったり、知らなかったりという状況でした。 節については六高の教授であったことくらいしか伝わっておらず、天文学をしていたことがわかったのもここ数年のことです。ですから祖父のことを取り上げていただけたこと、大変嬉しく思っています。 明治28年 広島にて出生/ 大正9年 京都帝国大学卒業/ 大正9年~ 第六高等学校に物理教師として奉職/ 昭和2年〜4年 文部省の命を受けイギリス、ドイツ、アメリカに留学 ※この留学の際に世界(上記のほかフランス、オーストリア、スイス、オランダ、イタリア、エジプト、スウェーデン)の天文台を回ったそうです。/ 昭和18年~ 広島高等学校へ転任/ 昭和22年 病没
  • double_cluster

    2025.07.09 07:57

    コメントをいただきありがとうございます。返信が遅くなり失礼いたしました。ブログでの節様のお名前の誤り、ご消息についての曖昧な記述の御無礼をお詫びいたします。昭和18年に広島高等学校へのご転任とのこと、ご苦労をされたのですね。戦前から戦中の天文家の皆様について調べていると、戦争がいかに大きな苦難をお一人お一人にもたらすか痛切に教えられます。改めて宮原節様のご冥福を心よりお祈りいたします。お教えいただきましたように、ブログ記事を訂正させていただこうと思います。もしよろしければ、節様のお生まれ年をお教えいただけますでしょうか。よろしくお願いします。
  • tos********

    2025.07.07 11:50

    こんにちは。 以前「反射屈折天体望遠鏡作り方観測手引」、「倉敷天文台100周年(1)」、「倉敷天文台100周年(9)」で名前を取り上げていただいた宮原節の孫です。 「(残念ながら、宮原節氏の消息は不明です。)」とありましたので、節のその後をお伝えします。 昭和18年~ 広島高等学校へ転任 昭和22年 病没 広島に移ってすぐに体調を崩したようで、六高時代が祖父にとって、一番楽しく幸せな時期だったのではないかと思います。 祖父を取り上げていただきありがとうございました。 (節(みさお)と読みます。)