井本進氏

射場天体観測所客員研究員

 上の写真は1936年6月19日の部分日食です。撮影者は射場天体観測所の客員研究員[1]であった井本進氏(1901-1981)です。井本進氏は天文古代史を研究し、日本の古暦書の蒐集家(井本文庫)としても知られていました[2]。「日本のアマチュア天文家の観測の歴史や日本を含む東洋の天文学史」に関する6編の射場氏の報告(『Popular Astronomy』誌に1931年から1938年にかけて)の協力者であったと考えられます。また、『日本天文史料綜覧』と『日本天文史料』(初版1934.10.25、再販1935.11.25)を著した神田茂氏(東京天文台、1894-1974)も射場氏の協力者でした[3]。

 東亞天文協会の会員であった井本進氏は、1936年6月7日の日蝕講演会(東亞天文協会大阪支部6月例会)に参加していました。この時の講師は百済教猷氏(くだらきょうゆう、京都帝大)でした[4]。

(参考文献)

[1]竹本修三(2015)「明月記をめぐる射場保昭と神田茂・井本進との交わり」,日本天文学会,天文月報108(7):429-437

[2]日本アマチュア天文史編纂会(1987)『日本アマチュア天文史』,恒星社厚生閣:369

[3]竹本修三(2013)「屈折・反射望遠鏡に関するエインスリー対ウォーターズの論争に加わった射場保昭」,日本天文学会,天文月報106(10):675-683

[4]東亞天文協会大阪支部事務所(1936)「東亞天文協会大阪支部報」,東亞天文協会大阪支部第8號1頁兵庫県版

(写真は伊達英太郎天文資料より)




中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1968年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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