今回は、伊達英太郎氏とも交友のあった、アマチュア天文家をご紹介します。千葉県銚子市の瀧田正俊氏です。「天体写真NOW」(誠文堂新光社)という雑誌でも紹介された方なので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。時代は、1941年(昭和16年)頃です。
瀧田氏の本職は歯科医師でした。機材(2枚目写真)は、左から自作5.8cm屈折赤道儀、4cm屈折経緯儀、15cm反射経緯儀、そして7cm反射経緯儀です。5.8cm屈折赤道儀(4枚目写真)は、赤道儀は木製(ギアは蓄音機のものを利用)、筒は噴霧器のチューブ、極軸シャフトは空気銃の銃身を使っています。この機材で撮ったのが5枚目の写真です。流星や金星写真、彗星写真、火星スケッチ等(7枚目写真)も行っていました。
昭和16年は、太平洋戦争開戦の年。このような時代でも、星空に思いを寄せる方がおられたことを改めて知りました。
(1枚目:22歳頃の瀧田氏、資料は全て伊達英太郎氏天文写真帖より、参考:「天体写真NOW」誠文堂新光社)
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