ダイニックアストロパーク天究館には、木辺成麿氏(きべしげまろ、本名:宣慈[せんじ]、1912-1990、真宗木辺派錦織寺21代門主・光学技術者・反射鏡研磨の名人)が、自分用に作製した31cm反射赤道儀が保存されています。
木辺氏は、1933年(昭和8)頃、26cmF9反射鏡(No.67)を自分用に研磨しました。その後、31cm反射赤道儀の機械部分(主・斜鏡なし)の製作を、西村製作所に依頼しています。機械部分の費用が当時の価格で630円でした。現在の貨幣価値に換算すると、126万〜157万5千円ぐらいになります。機械部分の完成は、1934年(昭和9)4月。当初は主鏡セルに中枠をはめて、26cm反射赤道儀として使用していました。翌1935年(昭和10)に31cm反射鏡を研磨し、鏡筒に組み込んでいます。この時は、カセグレン・ニュートンタイプでした。(ただし、この鏡面は落下事故に遭い、別の31cm鏡を研磨し直して現在の鏡筒に組み入れ、ニュートンタイプとして使用しています。現在も当初の名残として、主鏡付近にファインダーが付いています。)
天究館創設者の坂部三次郎氏と木辺氏は、知己の間柄でした。坂部三次郎氏は、1938年(昭和13)頃、木辺氏の元で反射鏡研磨をしていたことがあったそうです。
1987年(昭和62)11月、木辺成麿氏は、オープン間もない天究館を訪れています。そして、1989年(平成元)5月、31cm反射赤道儀を天究館に寄贈しました。それからオーバーホールが行われ、1990年(平成2)5月に完了しています。正に、木辺氏が亡くなった年です。
木辺氏が錦織寺境内に設置し、火星観測や月面・惑星写真撮影、変光星観測等に実際に使用された望遠鏡です。それが、完成当時の姿に近い形で保存活用されています。それを見て、私は感無量でした。
(1枚目:右側が鏡筒先端方向、赤経赤緯両軸共にモーター稼働方式に改造されています。2枚目:接眼部とファインダーは、現代的な物と交換されています。3枚目:ピラーには、「寄贈 木辺成麿氏」と書かれています。5枚目:鏡筒内、奥に主鏡が見えます。6枚目:31cm反射赤道儀が収められているスライディングルーフ)
参考文献:日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987
白川天体観測所,藤井旭,誠文堂新光社
ダイニックアストロパーク天究館HP,2019.8.6閲覧
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